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'''ナンシー・デイヴィス・レーガン'''('''Nancy Davis Reagan''', [[1921年]][[7月6日]] - )は、[[アメリカ合衆国大統領]][[ロナルド・レーガン]]の[[未亡人]]であり、[[1981年]]から[[1989年]]まで[[ファーストレディ]]であった。
 
== 生い立ち ==
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== ファーストレディとして ==
[[ファイル:Reagan hirohito.jpg|thumb|250px|ナンシー・レーガン(左)、[[アメリカ合衆国大統領]][[ロナルド・レーガン]](中央)、[[昭和天皇]](右)。[[1983年]][[11月9日]]、[[東京都]]にて]]
ナンシーはファーストレディとなると、間もなく不況にもかかわらず[[ホワイトハウス]]で使用する200,00020万[[米ドル|ドル]]の新しい磁器の購入を発表し(私立財団によって支払いが行われた)、論争となった。高級趣味と共に、彼女は一般のアメリカ人が持つ関心事項に対して接点を持たないというイメージを与えることとなった。しかしながら[[1982年]]にディナーでぼろ着を身につけ「Second-Hand Rose」を歌ったことで、こういった批判の内のいくらかをそらすことができた。[http://www.usatoday.com/life/people/2004-06-13-nancy-reagan_x.htm]
 
彼女は夫がスピーチする間、愛情に満ちた眼差しで夫を見つめることで有名であった。多くの政治家の配偶者は彼女の様にするものの、ナンシーは特に集中し注意深かったため、彼女は「The Gaze」のニックネームで呼ばれることとなった[http://www.sptimes.com/2004/06/13/Worldandnation/Up_next_for_Nancy_Rea.shtml] [http://eightiesclub.tripod.com/id398.htm]。しかしながら舞台裏では、彼女はホワイトハウスのオペレーション、特に人員問題と夫のイメージと遺産の上に関して影響を及ぼした[http://www.politicalquest.org/index.php/cssID/530/csf/Nancy_Davis_Reagan_Legacy]。彼女は[[ワシントン・ポスト]]の出版者[[キャサリン・グラハム]]と、共通の友人であった[[トルーマン・カポーティ]]によって紹介され親しい友人となった。その後彼女はホワイトハウスで毎週の昼食をグラハムおよび彼女の後任である[[メグ・グリーンフィールド]]と共にした。ナンシー・レーガンは、レーガン大統領の二期目におけるホワイトハウスの政策に幾分かの影響力を及ぼしたと広く考えられている。
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1987年10月に[[乳癌]]を発見され、乳房切除手術により回復する。このことで乳癌に対する意識が全米に広まったといわれる[http://www.pbs.org/wgbh/amex/reagan/peopleevents/pande03.html]。
 
キティ・ケリーによる[[1991年]]の『''{{en|Nancy Reagan: The Unauthorized Biography}}''』は出版史上最速の売り上げを記録した伝記となった。同書の内容には論争の的となった元ファーストレディの占星術を元にした政策への関与に関する詳細と、ホワイトハウスにおける[[フランク・シナトラ]]との密会(しかしながら記録は存在しない)が含まれている。
 
1983年にはナンシーは元[[アメリカ合衆国国務長官|国務長官]][[ヘンリー・キッシンジャー]]、慈善家のバーバラおよびマーヴィン・デイヴィスと共に大人気ドラマの『[[w:en:Dynasty (TV series)|ダイナスティ]]』に自身の役で出演した。更に彼女は人気ホーム・コメディ『[[アーノルド坊やは人気者]]』にも「{{en|Just Say No}}」反[[麻薬]]キャンペーンを強調するため出演している。
 
== 後年 ==
ナンシー・レーガンは現在、夫ロナルドの世話をしたカリフォルニア州ロサンゼルスのベル・エアの自宅に居住している。夫の[[アルツハイマー病]]発症後は献身的に介護し、[[2004年]][[6月5日]]その死を看取った。彼女はアルツハイマー病に対する治療法に役立てるため、胚性幹細胞研究を支援するように[[ジョージ・ウォーカー・ブッシュ|ジョージ・W・ブッシュ]]大統領を促す目的で[[共和党 (アメリカ)|共和党]]との繋がりを絶った。
 
2004年にワーナー・ブックスはナンシーの長年の上流社交界における友人の作家、ボブ・コーラセロによる『''{{en|Ronnie and Nancy: Their Path to the White House, 1911-19801911–1980}}''』を出版した。
 
ナンシー・レーガンは[[マーガレット・サッチャー]]と[[チャールズ (プリンス・オブ・ウェールズ)|チャールズ皇太子]]を訪問した際、[[ロンドン]]のホテルで滑って転倒し、2005年に短期間入院した。
 
[[2008年]][[2月17日]]、自宅で転倒して2日間[[サンタ・モニカ]]の病院に入院したが[[骨折]]はしていないという。
 
== 外部リンク ==
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[[Category:1921年生]]
[[Category:存命人物]]
[[Category:ロナルド・レーガン]]
 
[[be:Нэнсі Рэйган]]