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[[Image:Boleslaw IV Kedzierzawy.jpg|right|thumb|200px|ボレスワフ4世巻毛公]]
'''ボレスワフ4世''' ('''Bolesław Kędzierzawy'''、[[1120年]] - [[1173年]][[1月5日]])は、[[ポーランド君主一覧|ポーランド大公]](在位:[[1146年]] - 1173年)。[[ボレスワフ3世クシヴォウスティ|ボレスワフ3世]]と2度目の王妃[[サロメ・フォン・ベルク=シェルリンゲン]]の子として生まれた。[[ヴワディスワフ2世ヴィグナニェツ|ヴワディスワフ2世]]の異母弟、[[ミェシュコ3世]]、[[ヘンリク (サンドミェシュ公)|ヘンリク]]、[[カジミェシュ2世]]の同母兄。巻毛公と称される
 
父が死ぬと、[[ボレシロンスク公国|シロンスク公]]で異母兄のヴワディスワフ32 (ポーランド王)|大公となった。若いボレスワフ34は[[マゾフシェ県|マゾフシェ]]と二度目の王妃[[サロメ・フォン・ベルヤヴィ]]を継承し、[[マゾフシェルリンゲン]]の子して生まれなった。
 
父が死ぬと、[[シロンスク公]]で異母兄の[[1146年にヴワディスワフ2世 (ポーを追放すると、[[長子領|クンド大公)|ヴワディクフ領]]を継承し、ボレスワフ24]]自身がポーランド大公となった。若いボしかし、死後は息子スワフは[[シェックがマゾフシェ]]公を継承したのみで、クラクフと[[クヤヴィグニェズノ]]を継承したのは同母弟の[[マゾフミェェ公ュコ3世]]となであった。
 
1146年にヴワディスワフ2世を追放すると、[[長子領|クラクフ領]]を継承し、ボレスワフ自身がポーランド大公となった。彼の息子レシェックがマゾフシェ公を継承したのみで、クラクフと[[グニェズノ]]を継承したのはボレスワフ3世の同母弟[[ミェシュコ3世]]であった。
 
==子女==
[[1137年]]、[[プスコフ]]公ヴセヴォロドの娘ヴィエルチョスワヴァ・ノヴォグロズカ([[:pl:Wierzchosława Nowogrodzka]])と結婚。
*ボレスワフ(1172年没)
*娘
*[[レシェック (マゾフシェ公)|レシェック]](1186年没)
 
{{先代次代|[[ポーランド君主一覧|ポーランド大公]]|1146年 - 1173年|[[ヴワディスワフ2世 (ポーランド大公)ヴィグナニェツ|ヴワディスワフ2世]]|[[ミェシュコ3世]]}}
{{ポーランド君主一覧}}
{{History-stub}}