「少年の魔法の角笛」の版間の差分

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m 常用漢字外を含む熟語「推敲」に読み仮名を付し、仮名書き指定語の「及び」を仮名書き。(Wikipedia:表記ガイド「まぜ書き」「仮名書き」に基づく)
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『少年の魔法の角笛』以前に、ドイツには民衆詩についての全般的な論争があった。とくに[[ハイデルベルク]]の[[ロマン主義]]者とヨハン・ハインリヒ・フォスの間の論争が注目される。芸術性をもった民衆詩というものは可能かどうか、そのような詩の純粋な模範というものは提示しうるのかどうかが論争になった。『角笛』はこのような状況のなかに、芸術的な民衆詩を提示するものとして登場した。これに対してフォスは1808年、本を刊行し、「ロマン主義者のパロディ」と痛撃を与えた。
 
編者2人の間にも争いがあった。ブレンターノは、アルニムが集めた詩を芸術的に書き直したことを非難した。ここには原詩の純粋さを保つべきであり、技巧を加えるべきではないとする要求と、詩はできる限り芸術的でなければならず、収集者が推敲(すいこう)を加え、その詩が本来蔵している美的な可能性を引き出すべきであるとする要求の対立がある。同じような論争は、自然詩と芸術詩の間の論争として[[グリム兄弟]]の間でも展開された。
 
[[ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ|ゲーテ]]は第1巻に接し、好意的な批評を発表した。ゲーテがとくにほめたのは、詩集の素朴な側面であった。
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== マーラーの歌曲集 ==
歌曲集としての題名は原題のまま『子供の不思議な角笛』で、1892年から1901年にかけて作曲された。
なお、「若き日の歌」の第2集および第3集にも同歌曲集からの9曲の歌曲が存在する。
*番兵の夜の歌
*無駄な骨折り