「今里広記」の版間の差分

 
戦後、[[経済同友会]]設立に参加。また、経営手腕を買われ、[[日本精工]]社長となる。[[オイルショック|石油危機]]の際
、[[国際石油資本BP (企業)|ブリティッシュ・ペトローリアム]]社から7億8000万ドルで[[アブダビ]]沖の[[海底油田]]を買収し、[[特殊会社|国策会社]]ジャパン石油開発を軌道に乗せた。[[日本電信電話公社|電電公社]]民営化にともなう[[NTTグループ|NTT]]設立委員会の委員長となり、[[真藤恒]]社長実現に辣腕を振るった。
 
[[日本興業銀行]]の[[中山素平]]とは親友で、その間柄から財界においては、「知恵の中山、行動の今里」と称された。[[永野重雄]]は「今里という潤滑油が無かったら、戦後の日本はこんなにスムースに転がってやしませんよ」とその役割と人間性を評している。経営者団体連合会([[経団連]])常任理事、経済同友会代表幹事の他、東京[[商工会議所]]常任顧問、日本経営者団体連盟([[日経連]])顧問を兼ねる。
 
[[サンシャインシティ|サンシャイン60]]に[[古代オリエント博物館]]を開館させた他、[[映画]]や[[演劇]]関係にも強い関心を抱き、[[歌舞伎]]の振興にも熱心で、[[市川團十郎 (12代目)|12世市川団十郎]]の襲名時には裏方で奔走した。また、同郷長崎出身の歌手・[[さだまさし]]に[[谷川徹三]]、[[山本健吉]]らの文化人を紹介するなど、文化交流・後代への継承にも尽力した。1985年(昭和60年)5月30日死去。77歳。
 
==関連項目 ==
*[[力道山]]
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