「鈴木三樹三郎」の版間の差分

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=== 御陵衛士時代 ===
[[1868年]]3月、伊東らと共に新選組から分離し、御陵衛士([[高台寺党]])に属す。'''三樹三郎'''や'''三木和泉'''と称する。同年11月18日、暗殺された伊東の遺体収容時、迎撃する新選組との乱闘を切り抜けて、加納鷲尾・富山弥兵衛とともに[[薩摩藩]]邸に保護される([[油小路事件]])。[[鳥羽・伏見の戦い]]では、薩摩藩の[[桐野利秋|中村半次郎]]の指揮下に入って新選組と戦い、後に東征軍の先鋒隊に合流する。のちに[[赤報隊]]の二番隊長を務めたが、[[相楽総三]]らの偽官軍事件に連座した疑惑によって入牢した後、新政府の徴兵七番隊に加わる。6月には軍務局軍曹を拝命して江戸へ下向し、[[戊辰戦争]]では北越や会津における戦線を戦った。
 
=== 明治以降 ===