「ウィレム1世 (オランダ王)」の版間の差分

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== 生涯 ==
父は[[オランダ]]([[ネーデルラント連邦共和国]])の最後の[[オランダ総督|総督]]だった[[オラニエ公]][[ウィレム5世 (オラニエ公)|ウィレム5世]]で、母は[[プロイセン王国|プロイセン]]王女([[アウグスト・ヴィルヘルム・フォン・プロイセン (1722-1758)|アウグスト・ヴィルヘルム王子]]の娘で[[フリードリヒ・ヴィルヘルム2世 (プロイセン王)|フリードリヒ・ヴィルヘルム2世]]の妹)[[ヴィルヘルミーネ・フォン・プロイセン (1751-1820)|ヴィルヘルミーネ]]。1791年、[[プロイセン国王]][[フリードリヒ・ヴィルヘルム2世 (プロイセン王)|フリードリヒ・ヴィルヘルム2世]]の娘で従妹に当たる[[ヴィルヘルミーネ・フォン・プロイセン (1774-1837)|ヴィルヘルミーネ]]と結婚した。
 
[[1795年]]、[[フランス第一共和政|フランス]]軍の侵攻により共和国が崩壊すると、父に従って[[グレートブリテン王国|イギリス]]に亡命した。[[1799年]]にはイギリス軍に加わって、フランスの属国となったオランダ([[バタヴィア共和国]])に侵攻したが撃退された。父ウィレム5世は亡命中の[[1802年]]にオラニエ公の称号(祖父[[ウィレム4世 (オラニエ公)|ウィレム4世]]以降は名目のみとなっていた)とともに家督を譲り、[[1806年]]にドイツで死去した。
 
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[[Category:オランダの君主国王]]
[[Category:ルクセンブルク大公]]
[[Category:オラニエ公]]
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