「ルイーズ・ドルレアン (1882-1958)」の版間の差分

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フランス王「フィリップ7世」を名乗る[[オルレアニスム|オルレアニスト]]のフランス王位請求者[[フィリップ (パリ伯)|パリ伯フィリップ]]と、その妻であるスペイン王女[[マリー=イザベル・ドルレアン|マリア・イサベル]]の間の四女として生まれた。1907年11月16日、イングランドの[[ウスターシャー]]において[[ブルボン=シチリア家]]のカルロ・タンクレーディ王子と結婚した。夫は死別した先妻のスペイン王女[[マリア・デ・ラス・メルセデス・デ・ボルボーン・イ・アブスブルゴ=ロレナ|マリア・デ・ラス・メルセデス]]との結婚を通じて[[インファンテ (称号)|スペイン王子]](Infante de España)の称号を有していた。
 
1931年にスペインで[[スペイン第二共和政|第2共和国]]政府が成立すると、ルイーズとその家族は[[イタリア]]、[[スイス]]への亡命を余儀なくされた。ルイーズは1936年、[[スペイン内戦]]に身を投じた一人息子のカルロスを亡くしている。[[フランシスコ・フランコ]]が内戦を収束させて政権を掌握すると、一家はスペインに帰国することが出来た。
 
== 子女 ==