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'''クリオーリョ''','''クリオージョ''' ({{lang-es-short|'''criollo'''}}) とは、
== 語義 ==
"criollo" ”crioulo" という単語は "
一方、ポルトガル語圏である[[ブラジル]]の場合は、"crioulo"は
== クリオーリョの社会的位置づけ ==
「クリオーリョ」の対義語には、「ペニンスラール」(''peninsular'' : 半島人。イベリア半島で生まれた白人)、「エウロペオ」(''europeo'' : ヨーロッパ人)などの表現が相当する。しかし、両者は[[結婚|婚姻]]、[[親族]]、[[親子]]などの関係にあるため、明確に区別される二つの集団を構成しているわけではない。
しかし、こうした肌の色に基づいて身分が区別される社会のありかたは次第に効力を失っていき、18世紀が進むに連れて社会経済的要因によって階層区分が生じる社会へと移行していった。すなわち、ヨーロッパ出身のスペイン人(ペニンスラール)であれ、クリオーリョであれ、資産があったり、有力者との縁戚関係がある人々は社会的に上位に位置することができる一方で、金も縁もない人々は社会的には中位・下位に位置するような社会が成立しつつあった<ref>Jaime E. Rodríguez, ''La independencia de la América española'', Colegio de México, Fondo de Cultura Económica, México, pp.33-42.</ref>。したがって、クリオーリョとペニンスラールを別個の集団と考えることも、同一の集団として一括りにすることも、18世紀になると簡単にはできなくなっていた。
また、18世紀に実施されたさまざまな行政改革([[スペイン・ブルボン朝|ブルボン朝]]改革)は、本国王室の意図や命令が植民地社会で迅速に実施されることを企図したものであり、その実現に当たってはクリオーリョよりもペニンスラールが重用された。こうした政治領域に於けるペニンスラール優遇策も、クリオーリョとペニンスラールの間の精神的亀裂を拡大させた。
以上のように、同じイベリア人でありながら新大陸で生まれたという事だけで[[差別]]を受けたことは、クリオーリョたちにペニンスラール及び本国政府への反感を抱かせ、この反感が[[独立運動]]の動機のひとつになった。
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