「シコ・ブアルキ」の版間の差分

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== 人物 ==
シコはブラジルの社会、経済、文化的な状景を批評する彼の音楽作品によって有名となった。[[カエターノ・ヴェローゾ]]と並んで、ポスト・ボサノヴァ世代の[[ムジカ・ポプラール・ブラジレイラ|MPB]]を支えた名ソングライターとして名を馳せた。また彼の最新の他、著作、'''ブダペスト'''、批評家たちの賞賛を受け、プレミオ・ジャブチ(Prêmio Jabuti)というブラジルの文学賞を受賞した。なお[[ジョアン・ジルベルト]]の元妻[[ミウシャ]]は彼の姉、また[[サンビスタ (ブラジル)|サンビスタ]]のクリスチーナ・ブアルキは妹である。
 
シコは、知的で特権階級の家庭で育った。彼の父親、[[セルジオ・ブアルキ・ヂ・オランダ]] (Sergio Buarque de Hollanda)は有名な[[歴史家]]、[[社会学者]]で、彼のおじで辞書編集者であるアウレリオ・ブアルキ・ヂ・オランダの「アウレリオ」という名は、ブラジルで最も著名な[[辞書]]の名である。まだ小さいときから音楽と執筆に興味のある勉強熱心な子供だったが、シコは[[ボサノバ]]、特に[[ジョアン・ジルベルト]]の作品から強烈な影響を受けた
[[1964年]]に音楽家、そして作曲家としてデビューし、音楽祭や[[テレビ]]のバラエティー番組などで急速名を上げていく出演彼自身の名前がついたデビューアルバムは、彼の将来の活躍を予示するかのような作品で、独創的な言葉遣いと、郷愁的な悲しみ(いわゆる[[サウダージ|サウダーヂ]])を根底とする、キャッチーな[[サンバ (ブラジル)|サンバ]]であった。サンバは主にモーホ(丘)の黒人サンバの伝統的な音楽であったが、彼ら新世代のサンバはアポテオーゼ(Apoteose、称讃される)と呼ばれた。
シコはブラジルの軍事政権に対しての的な活動によって、[[1968年]]に逮捕され、最終的には自らの意思で[[1969年]]に[[イタリア]]に亡命する。その後[[1970年]]にブラジルに戻り、彼の知名度と作曲の能力を生かして、独裁政権へのプロテスト・ソングを制作しはじめる。このときの、若干ベールをかぶせたプロテスト・シングル "'''Apesar de Você'''" (Despite of you)は、どういうわけか軍の検閲の目をすり抜け、[[民主主義]]運動のアンセムとなった。10万枚が売れた後、結局弾圧の対象となり、すべて店頭から姿を消した。検閲にもかかわらず、[[オルリーのサンバ]](''Samba de Orly'',[[1970年]])やアコルダ・アモール(''Acorda Amor''、[[1974年]])、ヴァイ・パッサー(''Vai Passar'')のような曲は、シコが反抗を続けていることを露骨に示すような作品だった。
 
[[1970年代]]から[[1980年代]]の間に、シコは、プロテスト作品をさらに制作するため、数冊の小説を発表している。
[[1964年]]に音楽家、そして作曲家としてデビューし、音楽祭や[[テレビ]]のバラエティー番組などで急速に名を上げていく。彼自身の名前がついたデビューアルバムは、彼の将来の活躍を予示するかのような作品で、独創的な言葉遣いと、郷愁的な悲しみ(いわゆる[[サウダージ|サウダーヂ]])を根底とする、キャッチーな[[サンバ (ブラジル)|サンバ]]であった。サンバは主にモーホ(丘)の黒人サンバの伝統的な音楽であったが、彼ら新世代のサンバはアポテオーゼ(Apoteose、称讃される)と呼ばれた。
 
ポリチアマという自身の[[サッカー]]チームを所有し率いている。
シコはブラジルの軍事政権に反対しての政治的な活動によって、[[1968年]]に逮捕され、最終的には自らの意思で[[1969年]]に[[イタリア]]に亡命する。その後[[1970年]]にブラジルに戻り、彼の知名度と作曲の能力を生かして、独裁政権へのプロテスト・ソングを制作しはじめる。このときの、若干ベールをかぶせたプロテスト・シングル "'''Apesar de Você'''" (Despite of you)は、どういうわけか軍の検閲の目をすり抜け、[[民主主義]]運動のアンセムとなった。10万枚が売れた後、結局弾圧の対象となり、すべて店頭から姿を消した。検閲にもかかわらず、[[オルリーのサンバ]](''Samba de Orly'',[[1970年]])やアコルダ・アモール(''Acorda Amor''、[[1974年]])、ヴァイ・パッサー(''Vai Passar'')のような曲は、シコが反抗を続けていることを露骨に示すような作品だった。
 
[[1970年代]]から[[1980年代]]の間に、シコは、独裁政権に対抗するプロテスト作品をさらに制作するため、映画制作者、劇作家、音楽家たちとのコラボレーションを行った。作家としても数冊の小説を発表するなど、音楽家であることを越え、ブラジルを代表する知識人の一人であるといってよい。
 
また彼も他の多くのブラジル人同様、大の[[サッカー]]好きとして有名で、ポリチアマという自身のチームを所有し率いている。
 
日本は[[ブラジル音楽]]の愛好者が多いことで知られる。しかし彼のオリジナルアルバムが日本盤として販売される機会は少ない。そのため他のMPBアーティストに比べると、彼の曲はさほど有名ではなく話題に昇ることも多くない。したがってブラジル音楽を愛好する人たちの間では、彼の作品がもっと日本で多く紹介されないと、日本国内におけるブラジル音楽の認知度が本当の意味で高まったとはいえない、と言われている。
 
== 作詞家・作曲家としての代表曲 ==
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