「ヤング案」の版間の差分

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賠償を行う額を360億ライヒマルク(約73億金マルク)と定め、この金額を[[1988年]]までの59年間をかけて支払う。ドイツが支払う金額は、利子を含め、1930年は17億ライヒマルクで、その後21億ライヒマルクとなり、1966年以降は16.5億ライヒマルクとなる。
 
しかし、ちょうど同時期に発生した[[世界恐慌]]により、ドイツの経済は再び強烈な不況を迎えることとなり、[[1932年]]、[[スイス]]の[[ローザンヌ]]で行われた[[ローザンヌ会議]]において、賠償金はさらに今後30億金マルクに減額されたが、翌年、ナチスによって支払いは一方的に拒否された。その後、アメリカへの戦債は解消しないままであった。[[戦後補償]]は完了をするのはドイツ統一後に利子の支払いを再開してからで、アメリカへの債務は[[2010年]][[10月43日]]にようやく終わった。(他国への債務はまだ2020年まで残っている)
 
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