「ディヴェルティメント K.137」の版間の差分

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'''ディヴェルティメント ニ長調 K.137(125b)''' は、当時16歳の[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト]]が作曲した[[弦楽四重奏]]のための[[ディヴェルティメント]]。K.136~138をザルツブルク・シンフォニーと言い、本項は2曲目。この曲が作曲されたころ、モーツァルトは2度目の[[イタリア]]旅行から帰ってきたばかりで、K.136~138には[[イタリア音楽]]の影響がはっきりと強く反映されている。また、それと同時に[[対位法]]的な手法を止め、第1ヴァイオリンに主導的な役割を与え、他のパートにはもっぱら伴奏の役割を与えていることなどから、当時数多くのディヴェルティメントを作曲していた[[ハイドン]]の影響も見られる。[[物理学者]]の[[アルベルト・アインシュタイン]]は大変なモーツァルトの愛好者で、この曲の第2楽章を「フレスコ画のような絵筆でなでられたような軽いタッチ」と呼んだことは有名。
 
 
==概要==
[[セレナード]]や[[カッサシオン]]、[[ディヴェルティメント]]など区別するようになったのはモーツァルトよりも後の時代からである。ディヴェルティメントとは日本語にすると「喜遊曲」というが、要するに貴族や富豪の家で祝い事があったときに食事の際に演奏される音楽のことである。だから[[器楽]]編成はごく小さく、短い曲を集めて6曲程度で構成されるのが普通である。モーツァルトはディヴェルティメントを20曲以上作曲しており、
[[1772年]]の初め頃に[[ザルツブルク]]で作曲された3曲のディヴェルティメントのうちの2番目に当たるもので、作曲の動機は不明である。自筆譜には他者の手によって「ディヴェルティメント」と書き込まれている事が判明している。
 
* [[1772年]]初め故郷の[[ザルツブルク]]で作曲されたK.136~138はいずれも楽器編成が弦楽四重奏であること、
* ディヴェルティメントに欠かせない[[メヌエット]]がない3楽章から成り立っていること
 
などから、モーツァルト自身は本項を含むこれら3曲を「ディヴェルティメント」とは呼んでいない。研究によって知り得たことだが、「ディヴェルティメント」は後世にて、誰かがモーツァルトの自筆譜に書き加えたものなのである。また、後述するがモーツァルトは弦4声部(ヴァイオリン2部、ヴィオラ、バス)としか指定しておらず、
 
* 各パート1人の室内楽か、各パート複数のアンサンブル曲・オーケストラ曲なのか、
* 『バス』というのは一体なんの楽器で、どんな組み合わせで演奏すべきなのか、
 
これまでも繰り返し論争を呼んできた。
 
==楽器編成==
 
ヴァイオリン2部、ヴィオラ、バス(チェロ)→『バス』がなぜチェロなのかは[[ディヴェルティメントK.136]]を参照。
 
==構成==