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第二次世界大戦後、城津府は城津市に改名した。
 
[[朝鮮戦争]]では城津も大きな被害を受けた。1951年1月、この地で生まれた[[朝鮮人民軍]]司令官・金策がすると、1953その栄誉を記念し、鶴城郡が金策郡に、城津市が金策市に改名された。
 
1952年に行われた行政区画再編により、金策郡の6里が金策市に編入、7里が[[咸鏡南道]]広泉郡(現・端川市の一部)に編入された。再編された金策郡は、鶴東面・鶴中面・鶴西面の全域と、鶴城面の一部(14里)で、金策邑は旧鶴城面鶴城里に置かれた(1邑23里)。なお、金策郡の邑はその後1953年から54年にかけての一時期、臨溟里に移転している。