「ノート:小田原征伐」の版間の差分

:::秀吉視点のページでの征伐変更はとりあえず凍結します。そんな小さなことではなくて記事全体を広げたほうがいいですしね。--[[利用者:蚯蚓|蚯蚓]] 2011年1月10日 (月) 09:05 (UTC)
::::{{コメント}} 「長州征討」が改名にいたらなかったのは、賛同者がいない以前に「征伐や征討は差別用語である」そして「言い換えが正当である」という根拠が示せなかったからでしょう。「征伐」から「攻め」「役」に変更されたどの記事の改名議論も、その時点での根拠は実は充たしておらず、改名時の合意は投票等により形成しているとはいえ、際立って優勢であったわけでもなく、三階菱さんの主張と同じく体感的な意見と、別の理由からの合意であったようですが。--[[利用者:ジャムリン|ジャムリン]] 2011年1月10日 (月) 10:00 (UTC)
 
::::{{コメント}} 長大な議論があったようですのですでに指摘されていることかもしれませんが、「小田原征伐」は正確にいえば秀吉視点ではなく、「豊臣政権論」視点ということではないでしょうか?対して「小田原の役」は「戦役」の略でしょうから、なんとなく軍事史・合戦史的な視点の印象があります。つまりこれは秀吉側・北条氏側という視点ではなく、研究史的なアプローチの違いであるような気がします。戦前・・かどうかわかりませんけど、おそらく昔はこの合戦を政治史的よりも合戦史として捉える向きが強かったと思いますし、戦後に実証史学・戦国期研究が出てきて、豊臣政権論においてはおそらく「征伐」か類する表現が文書においてもなされているでしょうし、織田家臣であった秀吉が東国大名を「征伐」できる地位になったことは、政治史的にも注目されることであろうと思いますし、そうした豊臣政権の確立過程での小田原戦役、という印象があります。
 
 
::別冊太陽「戦国大名」でも全ての地方平定戦全てを「平定」で統一しているわけではなく、文中においては執筆担当の研究者によっては「合戦」(小田原合戦)、「出兵」(四国出兵)等も使われています。また、同書の中でも触れられていましたが、四国・九州と違い、後北条氏に関しては、秀吉は既に臣従しているものとの認識で、政権内部の事件として見られたために戦後処理における違いが出たとの見解・説があります。政権外勢力との戦争を「役」を呼ぶと定義した場合には「小田原の役」では不適切ということにもなりかねません。そして、後北条氏を含めた研究においても、その観点で「誅伐」という言葉が使われていることがあります。--[[利用者:ジャムリン|ジャムリン]] 2011年1月11日 (火) 22:22 (UTC)
 
>プリズ氏・ジャムリン氏 「小田原征伐」などの差別的な用語を今更になって、項目名にしようという考えには歓心しません。戦役として「●●の役」というが一般的ですし、過去のWikipedia議論でもそうでした。蒸し返さないでいただきたい。--[[利用者:三階菱|三階菱]] 2011年1月12日 (水) 15:00 (UTC)
 
== 指摘 ==
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