「マ・メール・ロワ」の版間の差分

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{{クラシック音楽}}
'''マ・メール・ロワ'''({{lang-fr-short|'''Ma Mère l'Oye'''}})は、[[モーリス・ラヴェル]]が「[[マザー・グース]]を題材にした、[[モーリス・ラヴェル]]の品。原であるしたピアノ四手[[連弾]]の組曲。または、これに基づく[[管弦楽]]曲に[[編曲]]した管弦楽組曲版、さらにおよび[[バレエ音楽]]用に増補された版がある
 
== ピアノ連弾版 ==
オリジナルの連弾曲は、子供好きの(しかし独身であった)ラヴェルが、ラヴェルの友人であるゴデブスキ夫妻<ref>夫シーパ・ゴデフスキ2人異母姉はラヴェル子、ミミとジャパトロのために作曲した、[[連弾]]の組曲である。り後に『[[1908年ラ・ヴァルス]]から[[1910年]]にかけて作曲』を献呈れたといわれる。初演は[[ミシア・セーグリット・ロン]]である。</ref>の2人子、[[ミミとジャンヌ・ルルー]]とジュヌヴィエーヴ・デュロニーのためよって1910年[[4月20日]]作曲し[[パリ]]・ガヴォーホールで開かれた[[独立音楽協会]]第1回演奏会で行わ姉弟に献呈された。
[[1908年]]から[[1910年]]にかけて作曲され、1910年[[4月20日]]、[[パリ]]・ガヴォーホールで開かれた[[独立音楽協会]](SMI)の第1回演奏会において初演された。本来はミミとジャンが弾くことを想定して作曲されたが、それでも幼い姉弟が演奏するには難しかったため、[[マルグリット・ロン]]の弟子、[[ジャンヌ・ルルー]]とジュヌヴィエーヴ・デュロニーが演奏した。
 
; 第1曲 眠れる森の美女のパヴァーヌ(Pavane de la belle au bois dormant)
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== バレエ版 ==
テオトル・デ・ザール(「芸術劇場」)の支配人、ジャック・ルーシェ(Jacques Rouché)からの依頼により、1911年から翌[[1912年]]初頭にかけて編曲。曲順を入れ替え、新たな曲(前奏曲、紡車の踊り、複数の間奏曲)を付け加える形で編曲された。初演は1912年[[1月28日]]、ラヴェル自身の台本、ジャンヌ・ユガール夫人の振付、ガブリエル・グロヴレーズの指揮による。バレエ版は依頼主のジャック・ルーシェに献呈された。
 
* 前奏曲(Prélude)