「丹頂チック」の版間の差分

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戦後の広告には当時の映画スター[[三船敏郎]]などが起用<ref name="社史" />された。当時は、[[柳屋本店 (化学)|柳屋本店]]の「柳屋ポマード」([[1920年]]発売<ref>「[[柳屋本店 (化学)|柳屋本店]]」公式サイト内の「[http://www.yanagiya-cosme.co.jp/history.htm 会社沿革]」の記述を参照。</ref>)とこの「丹頂チック」が[[整髪料]]のシェアを二分していた<ref>「[[柳屋本店 (化学)]]」の項の記述を参照。</ref>。
 
[[1963年]](昭和38年)に[[資生堂]]が発売した、斬新さを売りにした男性用化粧品、「[[MG5]]」シリーズにたちまちシェアを奪われ、一時は倒産寸前にまで追い込まれる{{要出典|date=2009年4月}}。
 
=== 丹頂時代の終焉 ===
[[1970年]](昭和45年)7月に[[チャールズ・ブロンソン]]をイメージキャラクターに起用した「マンダム」シリーズ(9品種10品目)を発売<ref name="社史" />したことにより、再びシェアを奪回する。その後は[[資生堂]]とマンダムが拮抗する中で、新たに[[カネボウ化粧品]](当時は[[クラシエホールディングス|鐘紡]])が「エロイカ」シリーズを送りこんで来るなど、三つ巴の戦いを繰り広げてゆくことになる。
 
その結果、これまで発売された丹頂シリーズのシェアは次第に縮小してゆくことになる。[[1971年]](昭和4746年)4月、丹頂は社名をマンダムに変更<ref name="社史" />、丹頂の時代は終わっていく。
 
マンダムの土台を築いた商品として、今も同社が[[1969年]](昭和44年)に現地企業と合弁して設立した[[インドネシア]]の現地法人が持つ工場で生産されている。[[2000年]](平成12年)までは丹頂チック以外にも、ヘアトニックやポマードがインドネシアで生産されていた{{要出典|date=2009年4月}}
 
現在、日本国内ではレトロなデザインの「丹頂チック」のみの発売になっている<ref>[[#外部リンク]]の「丹頂チック<大>」リンク先の記述を参照。[[2009年]]4月2日閲覧。</ref>。米国では「丹頂ポマード」が現在も流通している<ref>「Greenworld Net, Inc.」のサイト内の[http://www.greenworldnet.com/shopv5/index.html?target=p_494.html&lang=ja 丹頂ポマード緑]の項の記述を参照。</ref>。