「バンブトンコート」の版間の差分

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[[1979年]]は[[マイラーズカップ]]から始動し、[[インターグロリア]]に1/2馬身差で勝ち、次走の[[天皇賞|天皇賞・春]]は7着。ここまで手綱を取った伊藤清章が一時降板。オープン戦では栗田伸一で勝ち、6月3日の[[宝塚記念]]では[[神戸新聞杯]]でも手綱を取った若手ホープの[[河内洋]]に任せる形となった。レースではサクラショウリを徹底マークするが、サクラショウリにまたしても完敗した。次走の[[高松宮記念 (競馬)|高松宮杯]](現、高松宮記念。この年は[[阪神競馬場]]で開催)でも河内洋が引き続き手綱を取るが、3歳馬ネーハイジェットに敗退。夏の函館開催では手綱が伊藤清章へと戻り、函館記念連覇を賭けるが、エンペラーエースの3着に敗退。秋は[[中京競馬場]]で行われた[[朝日チャレンジカップ]]を勝つが、[[目黒記念]]、天皇賞・秋、[[有馬記念]]、ともに距離の壁や調子下降で見せ場なく惨敗。
 
[[1980年]]は3月23日の[[鳴尾記念]]で60キロの斤量を背負い6着。8月3日、最後のレースなった函館競馬場の巴賞では9頭中8番人気ながら[[サーペンプリンス]]を退1着となった。
 
== 引退後 ==