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内務官僚・県知事・衆議院議員
 
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== 経歴 ==
[[宮崎県]]出身。持永善一の養子となる。[[広島高等師範学校]]を経て、[[1921年]]、[[京都大学|京都帝国大学]]法学部英法科を卒業。同年11月、[[高等文官試験|高等試験行政科試験]]に合格し、[[内務省 (日本)|内務省]]に入り衛生局属となる。以後、[[和歌山県]][[西牟婁郡]]長、同県[[海草郡]]長、[[広島県]][[理事官]]、社会局事務官、内務省社会部の福利課長・保護課長・庶務課長、厚生[[大臣官房]]会計課長、[[傷兵保護院]]業務局長などを歴任。
 
[[1939年]]7月、[[愛媛県]]知事に就任。[[1940年]]7月、[[厚生省]]労働局長となり、同勤労局長を経て、[[1943年]]7月、[[三重県]]知事に発令された。[[兵庫県]]知事を経て、[[1945年]]10月、北海道庁長官に就任。[[1946年]]1月まで在任し退官した。