「スティーヴン・ジェイ・グールド」の版間の差分

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アメリカの科学雑誌『ナチュラル・ヒストリー』誌にエッセイを毎月かかさず書いていて、そのエッセイをまとめたものもベストセラーとなっている。[[ベースボール]]の熱狂的なファンであり、しばしば野球をテーマにしたエッセイを書いていた。
 
[[小惑星]](8373)[[スティーヴン・グールド (小惑星)|スティーヴン・グールド]]は彼にちなむ。
==経歴==
グールドはニューヨーク市の[[クイーンズ区|クイーンズ]]で生まれた。彼の父レナードは法廷速記官で、母エレノアはアーティストだった。グールドが 5歳の時に、彼の父は[[アメリカ自然史博物館]]の恐竜館に彼を連れて行き、初めて[[ティラノサウルス・レックス]]と出会った。「私はそんな物があるとはしらなかった。私は畏敬の念に打たれた」とグールドは後に振り返っている<ref>Green, Michelle. 1986. [http://www.stephenjaygould.org/library/green_sjgould.html "Stephen Jay Gould: driven by a hunger to learn and to write"] ''People Weekly'' 2 June.</ref>。彼はその時古生物学者になる決意を固めた。
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グールドは多くの時間を創造論と、創造科学、インテリジェント・デザインとの戦いにつぎ込んだ。特に [[進化論裁判#アーカンソー州授業時間均等法裁判|アーカンソー州授業時間均等法裁判]]では専門家として裁判に出廷し証言した。グールドは科学と宗教が互いの領域に干渉すべきでないことを述べるために、'''NOMA'''、すなわち'''重複することなき教導権'''の概念を提唱した。1999年の著書『千歳の岩(邦題:神と科学は共存できるか?)』と2003年の『The Hedgehog, the Fox, and the Magister's Pox』でこの概念を発展させた。彼の視点では、科学は事実と理論を扱い、宗教は究極的な意味と道徳的な価値を扱うべきである。ただしこの二つの領域に全ての疑問が含まれるというわけではない。芸術などは含まれない。複雑なフラクタルパターンを描きながらも、両者は棲み分けできるはずだとグールドは考えた。1999年に米国科学アカデミーは同様の態度を取った。
 
リチャード・ドーキンスは後にNOMAを批判した。彼は、科学に道徳的な判断ができないとはいえ、なぜ宗教にそれができるのかと疑問を呈した。またドーキンスによれば、宗教は事実に関する主張を行い、科学の領域を尊重するつもりはない<ref>リチャード・ドーキンス『[[神は妄想である]]』</ref>。幾人かの批評家はグールドが宗教に対してリップサービスを行ったのだろうと考えている<ref>スティーヴン・ジェイ・グールド『神と科学は共存できるか?』解説</ref>。
 
====プロジェクト・スティーブ====
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=== 人間社会生物学と進化心理学批判 ===
グールドは人間に対する社会生物学と[[進化心理学]]への熱烈な批判者であった。彼はルウォンティンと共に、「[[遺伝子決定論]]」「還元主義」「適応万能論」の「非科学」と批判した。1975年に [[E.O.ウィルソン]]が『社会生物学』を執筆し、第1章と最終章で人間について言及すると、グールドとルウォンティンは「社会生物学研究グループ」を結成した。彼らはニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス誌にウィルソンを批判する手紙を書いた。ここで、ウィルソンを[[優生学|優生主義]]や [[ナチズム]]と結び付けたことは、ウィルソンからだけでなく[[エルンスト・マイヤー]]からも政治を科学に持ち込んだと非難された。グールドらは戦略の誤りを認め、その後は批判を科学的な物だけに限ったが、道徳的、政治的批判から完全に切り離すことはなかったと指摘された<ref name="ulica" />。
 
グールドは自らを環境決定論者ではなく、遺伝子可能性論、生物学的潜在性論者と名乗った。「人間の特定の社会行動が遺伝的にコントロールされている直接の証拠は何かあるだろうか」「行動上の特定の性向に対して特定の遺伝子が対応するという遺伝的決定論の考え方に対して、何者にも対してもあらかじめ固定的に向けられてはいないのである<ref>『ダーウィン以来』p388</ref>」
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=== 人間のはかり間違い ===
この著作は最も議論を巻き起こしたものの一つである。本書は一般からは賞賛の声で受け入れられた。グールドはIQ測定と遺伝に関する研究を、19世紀の頭蓋測定学と人種差別に関連づけたために、真剣にその問題に取り組んでいる心理学者から激しい反発を受けた。[[微生物学|微生物学者]][[バーナード・デイビス]]は[[サイエンス]]や[[ネイチャー]]を始め学術雑誌に載った書評が全体として批判的であった ことを指摘した。
 
=== その他の論争 ===