「小林千寿」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Point136 (会話 | 投稿記録)
Faso (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
1行目:
'''小林 千寿'''(こばやし ちず、[[1954年]]([[昭和]]29年)[[9月28日]] - )は、[[囲碁]]の[[棋士 (囲碁)|棋士]]。[[長野県]]出身、[[日本棋院]]所属、[[木谷実]]九段門下、五段。[[女流本因坊戦|女流選手権戦]]優勝3連覇、[[女流鶴聖戦]]優勝3回など。海外囲碁普及活動を積極的に行っている。棋士の小林四姉弟の長子で、孝之準棋士、健二七段、[[小林覚|覚]]九段、小林孝之準棋士二段は弟。娘あり
 
==経歴==
長野県[[松本市]]に生まれる。4歳で父から囲碁を習う。同時に[[ピアノ]]、[[合気道]]、[[書道]]も習ったが、父の熱意で囲碁だけが続けられた。6歳で木谷実の内弟子となる。入門時に「[[呉清源]]先生を負かすまでは松本に帰ってきません」と言ったという。しかし両親の心配により、2年後に松本に帰郷し、その後3年間は3人の弟とともに自宅で囲碁を続ける。1966年に[[全日本女流アマチュア囲碁選手権大会]]で4位になって、木谷から再入門促す手紙を受け取り、両親とともに上京して、4姉弟は木谷門下となって日本棋院院生となる。当初は土曜木谷会で指導を受けていたが、翌年から内弟子となり、4人で一部屋をあてがわれた。その2年後にはまた通い弟子となる。
 
1972年に入段、4姉弟では最初の入段となった。1975年三段時に女流選手権戦で挑戦者となり[[本田幸子]]に1-2で敗退するが、1976年には2-1で勝って初の女流選手権者となる。以後3連覇するが、1979年に[[小川誠子]]にタイトルを奪われる。1978年五段。1989、93、97年には女流鶴聖戦で優勝。