「ダーハ氏族」の版間の差分

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'''ダーハ氏族、ダーハ族'''とはダーハ=スキタイとも呼ばれる[[印欧語族]]を起源とした[[イラン系]]の言語を話す古代[[スキタイ]]部族である。[[ストラボン]]は彼らについて次のように記している。
 
{{cquote|''多くのスキタイ人は[[カスピ海]]を起源とし、ダーハ=スキタイと呼ばれる。[[マッサゲタイ|マッサゲタエ]]と[[サカ]]より東部へ位置していた。''|||ストラボン地理誌 11-8-1}}
―ストラボン地理誌 11-8-1
 
ストラボンの描写ではダーハ遊牧民の場所は現在の[[トルクメニスタン]]あたりになる。[[紀元前330年]]から[[紀元前1世紀]]ごろまで[[硬貨]]を鋳造している。
 
 
ダーハ族は他のスキタイの部族と供に[[ダレイオス3世]]の側について[[ガウガメラの戦い]]に加わった。後に[[アレクサンドロス3世|アレキサンダー大王]]の[[インド]]遠征軍に加わる。[[アケメネス朝]]の崩壊と供に部族は解体した。
 
このダーハ族の分派が数度に渡って軍事戦役を起こした[[パルニ族]]である。その戦いで[[グレコ・バクトリア王国]]や[[セレウコス朝]]に少しずつ優位に立っていった。[[アルサケス]]の治世下の時パルニ族の[[パルティア]]は良く知られているように[[イラン高原]]全土を支配に収めるようになった。古代メディア=ペルシア帝国の本拠を支配することで、本来の[[ヨーロッパ]][[ステップ (地形)|ステップ]]伝統の遊牧民文化が都市文明に変わっていった。この文化変容で[[ローマ帝国]]の大敵となっていった。
 
このダーハ族の分派が数度に渡って軍事戦役を起こした[[パルニ族]]である。その戦いで[[グレコ・バクトリア王国]]や[[セレウコス朝]]に少しずつ優位に立っていった。[[アルサケス]]の治世下の時パルニ族の[[パルティア]]は良く知られているように[[イラン高原]]全土を支配に収めるようになった。古代メディア=ペルシア帝国の本拠を支配することで、本来の[[ヨーロッパ]][[ステップ (地形)|ステップ]]伝統の遊牧民文化が都市文明に変わっていった。この文化変容で[[ローマ帝国]]の大敵となっていった。
 
== 関連項目 ==
* [[ダーサ]] - [[インド・アーリア人]]の敵とされる部族。ダーサはダーハを指すと言われるが、ダーハ氏族との関連性は不明。
 
 
{{DEFAULTSORT:たーはしそく}}