「シュタンデスヘル」の版間の差分

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(de:Standesherr (Deutscher Bund)11:25, 28. Nov. 2010参考)
 
ドイツでは1918年まで「世襲の領主層(„erbliche Landstandschaft“)が国家・地域の枢要な地位を占めた。シュタンデスヘルはドイツ諸邦の上院に世襲の議席を有していた。プロイセン貴族院([[:en:Prussian House of Lords|Preußisches Herrenhaus]])やヘッセン大公国議会([[:de:Landstände des Großherzogtums Hessen|Landstände des Großherzogtums Hessen]])の上院はその代表的な例である。シュタンデスヘルの領土は必ずしも新しく創設された領邦の国境の枠に収まるとは限らず、複数の領邦に領土が跨った結果、複数の国家の貴族院議員議席を所有する場合もあった。例えばライニンゲン侯家([[:de:Fürstentum Leiningen|Haus Leiningen]])の当主は、[[ヘッセン大公国]]と[[バーデン (領邦)|バーデン大公国]]の2カ国の貴族院議席を有していた。
 
シュタンデスヘル身分層の男子は兵役を免除されていたが、職業軍人となる場合は、通例は[[少尉]]の階級からの任官となるという優遇があった。
 
シュタンデスヘルは各地域において、かつての支配領域であり現在の領地である地域に対する司法権と行政権を保持していたが、その権限は普通の貴族が農民たちに対して有した世襲裁判権([[:de:Patrimonialgericht|Patrimonialgericht]])のレベルを明らかに越えていた。シュタンデスヘルは中世の[[封建]]時代から続く領主権力を保ち、村役人、教区の聖職者、教師を任命する権限、所有する森林に森林警察、狩猟警察を設置する権限、領内の問題や政治的動向に最終的な意思決定を下す権限すら有していた。シュタンデスヘル領では独自の官僚・司法機構を有し、事実上の独立国家として機能しているものも珍しくなかった。しかしシュタンデスヘルがこうした幅広く強大な権限を保持することが出来たのは、[[1848年革命]]が起きるまでであった。1848年以後も、シュタンデスヘル領と連邦諸邦の直轄領との間に若干の相違は残った。とりわけ、[[プロイセン王国]]政府はシュタンデスヘルの領主権力の行使に対して寛容な姿勢をとっていた。バーデン大公国は領土の約3分の1がシュタンデスヘル領であり、大公政府は中間権力の存在を嫌ってシュタンデスヘル権力の制限に積極的だった。