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{{Infobox baseball player
|選手名 = 金寅植
|本名 = キム・インシク |英語表記 = Kim In-Sik
|所属球団 =
|役職 =
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|打席 = 右
|守備位置 = [[投手]]
|経歴 = <nowiki></nowiki>
*クラウンビール
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|経歴補足題 = 監督・コーチ歴
|経歴補足 = <nowiki></nowiki>
*[[東国大学校|東国大学]](1982
*[[起亜タイガース|ヘテ・タイガース]](1986
*[[サンバンウル・レイダース]](1990
*[[斗山ベアーズ|OBベアーズ
*[[ハンファ・イーグルス]](2005
}}
'''金 寅植'''(キム・インシク、{{lang|ko|김인식}}
▲'''金 寅植'''(キム・インシク、{{lang|ko|김인식}}、Kim In-Sik、[[1947年]][[5月1日]] - )は韓国の野球指導者である。いくつかの国際大会では野球の韓国ナショナルチームの監督も務めた。
== 来歴 ==
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2009年の第2回[[ワールド・ベースボール・クラシック]](WBC)でも、[[ハンファ・イーグルス]]の監督を兼務しつつ、韓国代表監督を任されることになり、決勝戦で大会5度目となる日本戦に敗れたものの、準優勝という好成績を残した。だがこの年ハンファは最下位を独走してしまい、3年契約が切れることもあってシーズン終了とともに監督を退任し、球団顧問となった。
== 人物
温厚かつ謙虚な人物。監督としては韓国では「信頼の野球」と呼ばれる采配が持ち味。しかし、その中で冷徹さも兼ねており、一度見切った選手については温情采配などなく、いくらチームの貢献してきたベテランでもそのまま2軍で暮らさせることもある。
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レギュラーシーズンの成績と比べて、ポストシーズンでは戦力的に劣勢という前評判を覆してチームを勝利に導くことが多く、これが彼の名将という印象を強めた原因と見られる。[[2001年]]の優勝の時もレギュラーシーズンでは65勝63敗5分けの3位で、たった2試合勝ち越しただけだった。これらのことを考えれば、短期決戦に強いと考えられる。
== 監督としての成績 ==
{|class="wikitable" style="text-align:center;"
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※1 1999年、2000年は2リーグ制の下でのリーグでの順位。斗山ベアーズはドリームリーグ所属だったため、ここではドリームリーグでの順位。<br>
※2 公式戦1位とのゲーム差。
==== ポストシーズン ====
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|}
{{Navboxes|title=野球韓国代表
|list1=
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}}
{{DEFAULTSORT:きむ いんしく}}
[[Category:韓国の野球選手]]
[[Category:野球監督]]
[[Category:ソウル特別市出身の人物]]
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