「国鉄C62形蒸気機関車」の版間の差分

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=== 東北本線・常磐線 ===
新製から数年間は[[東北本線]]の白河以南と[[常磐線]]において運用されていたが、東海道本線の電化が進んだことから[[1955年]]以降C59形が[[仙台駅|仙台]]以南の東北本線用として転属してきた。このため、本形式は[[尾久機関区|尾久]]・[[平機関区|平]]の両機関区に集約し常磐線<ref>なお、1960年代の初めごろまでは、朝・夕の通勤・通学時間帯に運転される[[東京駅]]乗り入れの常磐線の[[普通列車]](正確には、東京側の始発・終着駅は[[新橋駅]]であった)を牽引していたこともある。</ref>を中心に運用されることとなった。[[1958年]]には新設された特急「[[東北本線優等列車沿革|はつかり]]」の[[上野駅|上野]] - 仙台間(常磐線経由)の牽引機に抜擢され、この際に尾久機関区では7・8・10・11・20・22・37の逆転機を動力逆転機から手動のねじ式逆転機へと改造した<ref>動力逆転機のまま残った9・23・38・39と平機関区配置車も整備上の問題から逆転機駆動部のカバーを外している。</ref>。 特急「はつかり」は、運転開始後わずか2年の[[1960年]]に、新開発の[[国鉄キハ80系気動車|キハ80系気動車]]へ置き換えられて時は本形式による特急仕業が消滅したが、その後も常磐線内では尾久・平の両機関区に引き続き本形式が配置され、[[東北本線優等列車沿革|「みちのく」・「十和田」]]といった[[客車]][[急行列車|急行]]牽引の主力機として重用された。
 
もっとも、[[1963年]]に常磐線の平駅(現在の[[いわき駅|いわき]])以南の交流電化工事が完成し、尾久機関区配置の本形式による運用は[[国鉄EF80形電気機関車|EF80形]]によって置き換えられた。このため、常磐線系統における本形式の運用は、以後、平 - [[仙台駅|仙台]]間のみとなった<ref>電化の進展により余剰となった尾久機関区配置の一部(7・8・9・11・19・20)は水戸機関区を経て[[仙台車両センター|仙台機関区]]に転属し、一時は東北本線の仙台 - [[青森駅|青森]]間の旅客列車を牽引することも検討され、同じ目的で42も小樽築港機関区から転属した。だが、[[保線]]側から本形式の入線による[[軌道 (鉄道)|軌道]]への悪影響が懸念されたことや、既に[[国鉄DD51形ディーゼル機関車|DD51形ディーゼル機関車]]の量産が始まっていたこともあり、実現には至らなかった。そのため、仙台機関区に配置された本形式は仙台近郊や常磐線で一部の列車を牽引する以外に目立った運用も無いまま、[[1965年]]度中に全車[[廃車 (鉄道)|廃車]]となっている。なお、軽軸重仕様のC62形の動軸重は同区間で運用されていた[[国鉄C60形蒸気機関車|C60形]]・[[国鉄D62形蒸気機関車|D62形]]とほぼ同一であった。</ref>。その後、[[1965年]]の東北本線[[盛岡駅|盛岡]]電化の際に急行「北斗」の格上げで新設された[[国鉄20系客車|20系]]による[[ブルートレイン_(日本)|寝台特急]]「[[東北本線優等列車沿革|ゆうづる]]」(5・6列車)<ref>なお、この「ゆうづる」にはヘッドマーク([[黒岩保美]]デザイン)が掲げられていた。「夕日をバックに飛翔する鶴」を描いたこのマークは、同列車が最後の蒸気機関車牽引特急となることを念頭に置いて、本形式に装着した際にもっとも映えるように配慮してデザインしたことを、後年になって黒岩本人が証言している。彼は、計画段階で列車重量と経由路線からこの新設寝台特急がC62形牽引となることを推定し、しめたと思ったと述懐している。</ref>は所要時分短縮のために平坦な常磐線経由で運転されることとなり<ref>蒸気・ディーゼル時代の「はつかり」も同じ理由から常磐線経由とされていた。</ref>、非電化のままの平 - 仙台間については平機関区配置の本形式がその牽引機に抜擢されることとなった。以後、本形式の全廃までの間に本形式が配置された各線区で寝台特急が新規設定される事例はなかったため、この「ゆうづる」は本形式が牽引する最後の定期特急列車となった。
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