「井伊直澄」の版間の差分

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Dr jimmy (会話 | 投稿記録)
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== 人物 ==
* 穏やかながら機知に富んだ性格であった。ある日、[[徳川光圀]]の伴として[[徳川家綱]]の茶会に出席したことがあったが、家綱は茶を点てるのに不慣れで、一人では飲みきれない量を光圀に出してしまった。光圀も将軍直々に出された茶を残すわけにいかず、困り果てた。そこで直澄が進み出て光圀に「上様がお点てになったお茶など頂戴する機会はなかなかございません。もしお飲み残しでしたら是非拙者にも賜れないでしょうか」と申し出たため、家綱も「余ればそのまま直澄へ」と言ってその場が収まったという。
* 江戸で浪人が[[大名屋敷]]の門前で「[[切腹]]するから介錯しろ」と脅して金をねだる事例が多発したことがあり、井伊家の門前にもやってきたが、直澄は平然と「したいと言うのなら切腹すれば良い」と答え、奥に招き入れ、食事をさせた後に切腹させた。これにより切腹騒動は鎮静化したという。なお、このエピソードが元になり、映画『[[切腹 (映画)|切腹]]』が作られている(原作は[[滝口康彦]]の小説)。
* 戦乱で灰燼に帰していた[[青岸寺]]([[滋賀県]][[米原市]])を[[慶安]]3年([[1650年]])再興している。また父・直孝に恩義を感じ、供養のため高さ8mほどの石造七重層塔を[[琵琶湖]]の[[多景島]]に建てている。