「法住寺 (京都市)」の版間の差分

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[[画像:Houjyuuji_01.jpg|thumb|240px|法住寺]]
'''法住寺'''(ほうじゅうじ)は[[日本]]の[[京都市]][[東山区]]にある[[天台宗]]の[[仏教]]寺院である。[[平安時代]]中期に[[藤原為光]]によって創設され、その後[[院政]]期にはこの寺を中心に[[後白河天皇|後白河上皇]]の宮廷「'''法住寺殿'''」がいとなまれた。法住寺殿が[[源義仲|木曾義仲]]によって焼き討ちされ、数年を経て後白河上皇もなくなると、法住寺は後白河上皇の[[天皇陵|御陵]]をまもる寺として[[江戸時代]]末期まで存続、[[明治時代|明治]]期に御陵と寺が分離され現在にいたる。寺内の『身代[[不動明王]]』像は、平安期の作風とされる。この不動像は寺伝では[[慈覚大師]]が造立したといわれ、後白河上皇の信仰も篤かった。義仲の放火のさいに、上皇の身代わりとなったと伝えられており、現在も毎年11月15日には不動会(ふどうえ)がいとなまれる。