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しばらくは若年のため[[家老]]が政務を代行していたが、元々個性の強い者が多かった配下の家臣たちがまとまらず、家中で内部対立が深刻化した。また生来病弱であったため軍役にも参戦しないことがあったという説もある。そのため憂慮した家康が事態の収拾を図り、井伊谷以来の家臣は直継に、[[武田氏]]の遺臣などは異母弟・直孝に配属された。また井伊家の領地のうち彦根は直孝、上野国安中は直継の領有とされた。
慶長19年([[1614年]])、[[大坂の役
[[寛永]]9年([[1632年]])に[[隠居]]して長男・直好に家督を譲る。直好は[[正保]]2年([[1645年]])に[[三河国]][[西尾藩]]、[[万治]]2年([[1659年]])に遠江国[[掛川藩]]に[[移封]]され、隠居である直勝もこれに従った。
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