「ウォール街大暴落」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
35行目:
ダウ工業株平均が6年間上がり続けて当初の5倍になり、[[1929年]][[9月3日]]に最高値381.17を付けた後で<ref>{{cite web|url=http://www.pbs.org/wgbh/amex/crash/timeline/timeline2.html|title=Timeline: A selected Wall Street chronology|publisher=[[PBS]]|accessdate=2008-09-30}}</ref>、市場は1か月間急降下し、下げ初めから見れば17%下落した。
 
株価はその後の1週間以上にわたって下げ幅の半分を回復したが、その直後にまた下落するだけだった。下げ基調は加速し、大暴落初日となった1929年10月24日のいわゆるブラックサーズデーを迎えた。その日は当時の記録破りとなる1,290万株が取引された。
 
同日(10月24日)午後1時、ウォール街の幾人かの指導的銀行家が取引所での恐慌と混乱に対する解決策を見つけるために落ち合った<ref>''The Great Depression'', by Robert Goldston, pages 39-40</ref>。この会合には[[JPモルガン・チェース|モルガン銀行]]の頭取代行トマス・W・ラモン、チェイス国定銀行頭取のアルバート・ウィギン、および[[シティバンク、エヌ・エイ|国定ニューヨーク・シティバンク]]社長のチャールズ・E・ミッチェルが出ていた。彼らは取引所の副会頭リチャード・ホイットニーを彼らのために働く者として選出した。ホイットニーはその背後に控えた銀行家達の財務力をもとに、市場価格よりもかなり高い価格で[[USスチール]]株を大量に購入する注文を出した。トレーダー達が見守る中で、ホイットニーは続いて他の[[ブルーチップ]](優良株)銘柄に同じような買い注文を出した。この操作は1907年恐慌を終わらせた戦術に類似しており、その日の崩落を止めることに成功した。しかし、この時に一息ついたものの一時的なものに過ぎなかった。