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伊豆においては[[狩野宗茂]]の監視下で過ごすが、この間[[源頼朝]]や御家人からの帰依を受け、やがて[[文治]]5年([[1189年]])には帰洛。父教盛の所有地であった三条小川高畠の地を返却され、同所に[[宝菩提院]]を営む。[[建久]]6年([[1195年]])には頼朝に随って再度関東に下向。[[建仁]]3年([[1203年]])には慈円の譲りにより権少僧都に還任。さらに[[法眼]]、権大僧都と進んだ。
 
三代将軍[[源実朝]]の信頼も厚く、その招きにより数度に渡って関東を訪問している。一方、京においては[[後高倉院]]の帰依を受けるなど、朝廷・幕府の双方からの尊崇を集める高僧であった。[[承久]]年間には[[比叡山]]の[[延暦寺#横川|横川]]の長吏にも就任している。その教学は後世「小川流」と呼ばれ、[[台密]]十三流の一派を形成した。
 
== 参考文献 ==