「丹古晴己」の版間の差分

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'''丹古 晴巳'''(たんご はるみ、[[1923年]] - )は、日本の[[作詞家]]。[[広島県]][[佐伯郡]][[五日市町 (広島県)|五日市町]]八幡(現・[[広島市]][[佐伯区]])出身。[[ペンネーム]]・市場馨。
 
正しくは[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B9%E5%8F%A4%E6%99%B4%E5%B7%B1 丹古晴己]== 経歴 ==
 
== 経歴 ==
[[シベリア抑留]]後復員。闇屋、飯場暮らしの後、[[山口県]][[岩国市]]で衣料品店を経営。仕事の合間に作詞の勉強を続けた。店が倒産し上京後の1968年、[[黒木憲]]が歌った「[[霧にむせぶ夜 (シングル)|霧にむせぶ夜]]」が初ヒット。[[日本クラウン]]の[[馬渕玄三]][[プロデューサー]]に自分を売り込み専属契約した。1972年、[[石橋正次]]に書いた「[[夜明けの停車場]]」が大ヒット。他の代表曲に市場馨名義による1980年、[[山本譲二]]「[[みちのくひとり旅]]」など。また、[[ちあきなおみ]]らのデビューにも関わった<ref>[http://www.jun-suzuki.cocolog-nifty.com/blog/2007/week38/index.html 鈴木淳ブログ: 2007年9月16日 - 2007年9月22日]</ref>他、[[神園さやか]]がプロデビューするきっかけとなった、[[日本クラウン]]の[[オーディション]]に出場を勧めたのは、神園の母親と親交のあった丹古である<ref>[[朝日新聞]]広島版、2010年1月9日34面<[http://mytown.asahi.com/hiroshima/news.php?k_id=35000611001120002 asahi.com:8)神園さやか 支えられあすも歌う-マイタウン広島]></ref>。
 
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