「新穂高温泉」の版間の差分

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[[ファイル:Shinhodaka onsen06s3200.jpg|thumb|right|180px|蒲田川の岸に湧く源泉]]
 
[[画像ファイル:Shinhodaka onsen06s3200onsen10s3872.jpg|thumb|200pxright|蒲田川の岸に湧く源泉アルペン浴場]]
[[画像ファイル:Shinhodaka onsen10s3872onsen01s3200.jpg|thumb|200pxright|アルペン浴場奥飛騨温泉郷総合観光案内所]]
[[Fileファイル:Nakazaki Power Plant.JPG|thumb|right|新穂高バスターミナルと[[蒲田川]]を挟んで[[中崎発電所]]が建つ]]
[[画像:Shinhodaka onsen01s3200.jpg|thumb|200px|奥飛騨温泉郷総合観光案内所]]
[[File:Nakazaki Power Plant.JPG|thumb|新穂高バスターミナルと[[蒲田川]]を挟んで[[中崎発電所]]が建つ]]
'''新穂高温泉'''(しんほだかおんせん)は、[[岐阜県]][[高山市]](旧国[[飛騨国]])[[奥飛騨温泉郷]]にある[[温泉]]。
 
== アクセス ==
* 鉄道 : [[高山本線]][[高山駅]]より[[濃飛バス]]で約90分。または[[篠ノ井線]][[松本駅]]より[[松本電気鉄道|松本電鉄バス]]で約120分。
 
== 泉質 ==
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== 歴史 ==
開湯時期は不明。[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]には[[武田信玄]]の家来が入湯したとも言われることから、開湯はそれ以前と考えられる。質の良い川湯が湧くことで、江戸時代以前からリウマチ・胃腸病・頭痛に効く湯治場として知られていたが、洪水によって旅館や温泉の湯元が流失して以来そのままにされていた<ref name="denki">{{要出典範囲|野尻和木三の伝記『奥飛騨繁昌記』参照|title=書籍の詳細(書名、出版社、出版年、参照したページ数など)を提示ください。|date=2011年2月}}。</ref>
 
第二次世界大戦後の登山ブームによりこの地を訪れる登山者が急増し、北アルプス登山の拠点となった<ref name="hitomi">『hitomi』No.2、まちなみカントリープレス、2010年、P.14</ref>。[[井上靖]]が小説『[[氷壁]]』の舞台としたのはこの地にある中崎山荘で、同山荘の温泉は[[ツムラ]]の[[入浴剤]]のモデルにもなったが、蒲田川の砂防工事のために2007年10月閉館したのち、2010年4月より日帰り入浴施設として営業を再開している<ref name="hitomi"/>。
奥飛騨温泉郷の中でも、特に名湯と呼ばれる新穂高温泉が、現在のような賑わいを見せるようになったのは、その始まりは昭和30年代に入ってからのこと。奥飛騨の雄大な自然と、豊かな温泉の魅力に取りつかれた野尻和木三が、この土地に一大温泉郷を作り上げる夢を抱き、人生を懸けて実現した。昭和30年11月、和木三が38歳の時に、彼は現在「穂高荘 山月」の建つ付近に豊かな温泉を掘り当てた。この付近は元々は蒲田温泉と呼ばれ、リウマチや胃腸病、頭痛に効く湯治場として、質の良い川湯が湧くことで、江戸時代以前から知られていたが、大洪水によって旅館や温泉の湯元が流失して以来、そのままにされていた場所。温泉を掘り当てた翌年の昭和31年に、「穂高荘」を始めとした4軒の温泉宿が営業を開始したことで、約35年ぶりに温泉郷としての復活を果たした。野尻和木三の伝記『奥飛騨繁昌記』参照。
 
[[1968年|昭和43年]][[11月19日]] - [[奥飛騨温泉郷]]の一部として[[国民保養温泉地]]に指定された。
戦後の登山ブームによりこの地を訪れる登山者が急増し、北アルプス登山の拠点となった<ref name="hitomi">『hitomi』No.2、まちなみカントリープレス、2010年、P.14</ref>。[[井上靖]]が小説『[[氷壁]]』の舞台としたのはこの地にある中崎山荘で、同山荘の温泉は[[ツムラ]]の[[入浴剤]]のモデルにもなったが、蒲田川の砂防工事のために2007年10月閉館。2010年4月より日帰り入浴施設として再開している<ref name="hitomi"/>。
 
=== 野尻和木三 ===
[[1968年|昭和43年]][[11月19日]] - [[奥飛騨温泉郷]]の一部として[[国民保養温泉地]]に指定された。
[[野尻和木三]]は、奥飛騨の雄大な自然と豊かな温泉の魅力に取りつかれ、この土地に一大温泉郷を作り上げる夢を抱いた。
 
1955年11月、和木三が38歳の時にかつて蒲田温泉と呼ばれた場所<ref>掘り当てた温泉の位置は、現在の「穂高荘 山月」付近。</ref>に温泉を掘り当て、翌年に「穂高荘」をはじめとした4軒の温泉宿が営業を開始したことで、約35年ぶりに温泉郷としての復活を果たした。<ref name="denki"/>
 
== 登山対象となる山 ==
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* [[錫杖岳]]
* [[双六岳]]
 
== 交通 ==
* 鉄道 : [[高山本線]][[高山駅]]より[[濃飛バス]]で約90分。または[[篠ノ井線]][[松本駅]]より[[松本電気鉄道|松本電鉄バス]]で約120分。
 
== 脚注 ==
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== 外部リンク ==
{{Commons|Category:Shinhodaka Onsen}}
* [http://okuhida.or.jp/ 奥飛騨温泉郷観光協会]
* [http://www.okuhida-onsen.com/page02.htm 奥飛騨温泉情報]
* [http://shinhotaka.com/ 新穂高温泉観光協会]
* [http://okuhida.or.jp/ 奥飛騨温泉郷観光協会]
 
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