「ミハイル・プレトニョフ」の版間の差分
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両親ともに音楽家で、幼少期から楽才を発揮した。13歳で[[モスクワ音楽院]]に入学し、[[ピアノ]]を[[ヤコフ・フリエール]]とレフ・ヴラセンコに師事。1978年に[[チャイコフスキー国際コンクール]]で金メダルを獲得し、国際的な注目を浴びるようになる。1980年代後半にヴァージン・クラシックスと契約してピアニストとして国際的に録音活動を始めるが、1990年に、[[ソビエト連邦|ソ連]]で最初の私設オーケストラ、[[ロシア・ナショナル管弦楽団]]を設立して、指揮活動にも熱を注いだ。現在は[[ドイツ・グラモフォン]]の専属アーティストとなり、[[ロシア・ナショナル管弦楽団]]の芸術監督も務めている。指揮者として、またピアニストとして1度ずつ[[グラミー賞]]に入賞している。
ピアニストとして得意とするレパートリーは、[[スカルラッティ]]、[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]、[[フレデリック・ショパン|ショパン]]、[[スクリャービン]]、[[セルゲイ・ラフマニノフ|ラフマニノフ]]、[[セルゲイ・プロコフィエフ|プロコフィエフ]]で、自分は[[ヴィルトゥオーソ]]ではないとたびたび発言しているが、[[カーネギー・ホール]]
ラフマニノフの[[ルツェルン湖]]畔の別荘では、遺産のピアノを用い、存命中のラフマニノフの演奏風景を再現して録音を行った。
指揮者としては、チャイコフスキー、ラフマニノフ、ベートーヴェンの交響曲全曲ならびにベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲を録音している
チャイコフスキーのバレエ音楽《[[眠りの森の美女]]》や《[[くるみ割り人形]]》をピアノ独奏用に編曲し、ムズィカ(MUZYKA)社より出版した。超絶技巧を凝らした[[トランスクリプション]]で演奏技術の要求は非常に高いが、それゆえに他のピアニストからも支持されている。プロコフィエフの《シンデレラ》は2台ピアノ用組曲版を[[マルタ・アルゲリッチ]]との共演で録音している。
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