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'''プリンスリーギフト'''(''Princely Gift''、[[1951年]] - [[1973年]])は、[[イギリス]]の[[競走馬]]・[[種牡馬]]。[[馬の毛色|鹿毛]]の[[牡馬|牡]]の[[サラブレッド]]。
 
大種牡馬[[ナスルーラ]]と英で3勝したブルージェムの間に生まれ、競走馬としては[[1953年]]から[[1956年]]に23戦して9勝。勝ち鞍はクリアウエルステークス、モールトンステークス、[[チャレンジステークス]]、[[ハンガーフォードステークス]]、ポートランドハンデキャップ等。他にジュライステークス2着等がある。総獲得賞金は6,673[[UKポンド|ポンド]]であった。
== 概要 ==
大種牡馬[[ナスルーラ]]と英で3勝したブルージェムの間に生まれ、競走馬としては[[1953年]]から[[1956年]]に23戦して9勝。勝ち鞍はクリアウエルステークス、モールトンステークス、[[チャレンジステークス]]、[[ハンガーフォードステークス]]、ポートランドハンデキャップ等。他にジュライステークス2着等がある。総獲得賞金は6,673[[UKポンド|ポンド]]であった。1956年に引退し種牡馬入りすると、ナスルーラの後継種牡馬の1頭となり、[[1966年]]には2歳種牡馬ランキング3位、翌67年2位に付ける。[[産駒]]の傾向として、フロリバンダ、ファバージ、キングストループ、サンプリンセス、ソーブレスド等早熟で短距離が得意な馬を多数輩出した。後に[[テスコボーイ]]、[[ファバージ]]、[[バーバー (競走馬)|バーバー]]等が日本に輸入され大成功、これらの成功を受け日本のサラブレッド生産界は、プリンスリーギフト産駒、さらには[[ラインゴールド]]や[[ボイズィーボーイ]]等プリンスリーギフトの孫世代に当たる種牡馬まで次々に輸入した。その数は20頭以上に上る。結果日本では一時的にプリンスリーギフト系が繁栄したが、海外では有力な直系子孫のほとんどが輸入されてしまったため先細りになった。
 
1956年に引退し種牡馬入りすると、ナスルーラの後継種牡馬の1頭となった。[[1966年]]にはイギリスの2歳種牡馬ランキング3位、翌67年2位に付ける。[[産駒]]の傾向として、フロリバンダ、ファバージ、キングストループ、サンプリンセス、ソーブレスド等早熟で短距離が得意な馬を多数輩出した。
=== 直近代 ===
 
この様な発展を受け、日本には近年までプリンスリーギフトの系統がいくつかあった。
プリンスリーギフトの仔は、[[テスコボーイ]]、[[ファバージ]]、[[バーバー (競走馬)|バーバー]]等が日本に輸入され大成功した。これらの成功を受け日本のサラブレッド生産界は、プリンスリーギフト産駒、さらには[[ラインゴールド]]や[[ボイズィーボーイ]]等プリンスリーギフトの孫世代に当たる種牡馬まで次々に輸入した。その数は20頭以上に上る。結果日本では一時的にプリンスリーギフトの血を持つ馬が増加したが、日本以外の国では、プリンスリーギフトの血を持つ馬は希少となった。
しかし[[キングストゥロープ]]-[[ボイズィーボーイ]]-[[カツラギエース]]のラインはその後途絶え、[[テスコボーイ]]-[[トウショウボーイ]]-[[ミスターシービー]]-[[ヤマニングローバル]]のラインもその後がなかった。現在プリンスリーギフト系のうち存続しているのは、<!--東欧とか南亜を除けば-->2000年以後も[[サクラバクシンオー]]や[[エアジハード]]が重賞級の馬を輩出している[[サクラユタカオー]]のラインのみといってよい。
 
父系子孫としてはテスコボーイのものが比較的発展し、[[トウショウボーイ]]-[[ミスターシービー]]-[[ヤマニングローバル]]のラインが2000年代初頭まで、また[[エアジハード]]や[[サクラバクシンオー]]等の[[サクラユタカオー]]を経たものは現在でも残っている。
 
== 血統表 ==