「第五共和国 (大韓民国)」の版間の差分

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== 成立 ==
[[1979年]]の[[金載圭]]が起した[[朴正煕暗殺事件]]の後、[[崔圭夏]]が[[大韓民国の大統領|大統領]]に就任していたが、程なく[[韓国軍]]戒厳司令部合同捜査本部長の全斗煥将軍が[[粛軍クーデター]]で[[韓国軍]]を掌握し、[[盧泰愚]]を中心とする新軍部勢力と共に実質的な権限を握った。この間、独裁的な政府の支配に対する強硬な抗議の声が市民社会の間から現れ、主に大学生と[[労働組合]]によって為される抗議活動が、大規模デモによって最高潮に達した。その為全将軍は、[[1980年]][[5月17日]]に戒厳令を布告して民主化運動の取り締まりにかかり、[[金大中]]、[[金鍾泌]]といった有力な政治家を拘束した([[5一七17非常戒厳令拡大措置]])。更に[[5月18日]]に発生した[[光州事件]]では、学生らの抵抗に対し軍事力を用いた徹底的な弾圧を行なった。
 
軍部の圧力によって、[[1980年]][[8月16日]]に崔圭夏が大統領を辞任すると、公式的な憲法手続きによって、[[8月27日]]に全斗煥が第11代大統領に就任した。その後、[[10月27日]]の憲法改正案を巡る[[1980年大韓民国の国民投票|国民投票]]で、大統領の任期7年化と再選禁止を定めるなど大幅な改変を施しつつも、維新憲法的な色彩を残した'''第五共和国憲法'''が採択・制定された。そして、第5共和国憲法に基づき、[[1981年]][[3月3日]]に全斗煥が第12代大統領に就任することで、本格的な第五共和国が成立した。
 
== 政治 ==