「シャルロット=マルグリット・ド・モンモランシー」の版間の差分

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[[ファイルFile:Charlotte-Marguerite de Montmorency.jpg|thumb|right|200px|モンモランシー公爵夫人およびコンデ公妃シャルロット]]
'''シャルロット=マルグリット・ド・モンモランシー'''('''Charlotte-Marguerite de Montmorency''', [[1594年]][[5月11日]] - [[1650年]][[12月2日]])は、[[ブルボン朝|ブルボン朝]]期の[[フランス王国|フランス]]の貴族。
 
== 生涯 ==
モンモランシー公アンリ1世([[:fr:Henri Ier de Montmorency|fr]])と2度目の妻ルイーズ・ド・ビュドの娘として誕生。[[:fr:Connétable de France|コンネタブル・ド・フランス]]の地位にあった[[ヴァロワ朝]]期の名将[[アンヌ・ド・モンモランシー]]の孫にあたる。ブロンドの髪をした美貌の女性として知られ、宮廷に出入りしていた1609年前後にフランス王[[アンリ4世 (フランス王)|アンリ4世]]の愛妾となった。しかしシャルロットは40歳以上年上の王を嫌い、(未婚女性を愛妾とすることを避けるため当てがわれた)夫の[[コンデ公]][[アンリ2世 (コンデ公)|アンリ2世]]とともに彼の所領へ逃亡した。その後シャルロットは王からの召喚に応じず、1610年にアンリ4世が急死したのはシャルロットを年甲斐もなく追い回したためだと噂された。
 
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1632年、シャルロットの実弟であるモンモランシー公アンリ2世が[[リシュリュー]]に対する陰謀を企んだとして処刑されたため、シャルロットはモンモランシー公位を継承した。その後、モンモランシー公位はコンデ公家の称号の一つとなった。
 
== 子女 ==
* [[アンヌ・ジュヌヴィエーヴ・ド・ブルボン=コンデ|アンヌ]](1619年 - 1679年) 
* [[ルイ2世 (コンデ公)|ルイ2世]](1621年 - 1686年) コンデ公。大コンデの別名で有名。
* [[アルマン・ド・ブルボン (コンティ公)|アルマン]](1629年 - 1666年) コンティ公。ブルボン=コンティ家の祖。
 
 
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