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『[[太平記]]』巻5に、「片岡八郎矢田彦七あらあつやと頭巾を脱いで、側に指し置く。実に山伏ならねば、さかやきの跡隠れなし」とあり、絵巻物などと照らし合わせると、[[鎌倉時代]]、[[室町時代]]にさかやきが行われていたと分かる。当時は、[[兜]]による頭の蒸れ対策として戦の間だけ行われた習慣であり、日常に戻った時は[[総髪]]となった。
 
[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]になると、さかやきが日常においても行われるようになった。それまでは毛抜きで頭髪を抜いてさかやきを作るのが主流であったが、頭皮に炎症を起こし、兜を被る際に痛みを訴える者が多くなったため、この頃を境に毛を剃ってさかやきを作るのが主流となる。[[江戸時代]]になると、一定の風俗となった。[[公卿]]を除く、一般すなわち[[武家]]、[[平民]]の間で行われ、[[元服]]の時はさかやきを剃ることが慣例となった。さかやきでない者は、公卿、浪人、山伏、学者、医師、人相見、物乞いなどであった。さかやきの形は侠客、中間、小者はぼんのくぼまであり、四角のさかやきは相撲から起こり、その広いのを唐犬額といった。江戸時代末期にはさかやきは狭小になり、これを講武所風といった。また若さをアピールする一種のファッションとして、さかやきやもみあげを藍で蒼く見せるという風習も流行した。
 
[[明治時代|明治]]の[[断髪令]]まで行われた。