「陳柳」の版間の差分

m
編集の要約なし
m
'''陳柳チャン・リェウ'''(ちん りゅう、[[ベトナム語]]:'''Trần Liễu'''(チャン・リェウ陳柳)、 [[1211年]] - [[1251年]])は、[[大越]][[陳朝]]の王族・武将。陳朝の初代皇帝[[陳太宗|太宗]]の実兄である。陳朝成立後、安生王に封じられた。子に陳国峻([[陳興道]])がいる。
 
初め、[[李朝 (ベトナム)|李朝]]最後の皇帝[[李昭皇]](弟・陳煚(後の太宗)の妻)の実姉[[順天皇后|順天]]を妻として弟を補佐していたが、叔父で陳朝の事実上の最高指導者であった[[陳守度]]と政治の実権を争う。
 
ところが、[[1237年]]に陳守度が、太宗に子供が出来ない事を理由に太宗と李昭皇を離縁させ、代わりに順天を強引に召しだして陳柳チャン・リェウと離縁させて、新しい皇后とする。
 
これに激怒した陳柳チャン・リェウは謀叛の兵を挙げるも、これが陳柳チャン・リェウの失脚を図る陳守度の思う壺となり、反乱軍はたちまちのうちに打ち破られてしまう。
 
太宗の執り成しで陳柳チャン・リェウの罪は不問とされたが、政治的に失脚した陳柳チャン・リェウは陳守度を恨みながら病没したという。
 
{{DEFAULTSORT:ちんりゆう}}
[[Category:ベトナム史の人物]]
[[Category:ベトナムの王族]]
8

回編集