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'''ギース公'''('''Duc de Guise''')は[[フランス王国|フランス]][[貴族]]の[[称号]]。[[ユグノー戦争]]では[[カトリック教会|カトリック]]側の中心勢力として、[[プロテスタント]]に対抗した。
 
[[1520年]]、[[ロレーヌ公]][[ルネ2世 (ロレーヌ公)|ルネ2世]]の次男でフランス内領地の相続人[[クロード (ギーズ公)|クロード]]は[[高等法院 (フランス)|パリ高等法院]]にギーズ伯領を与えられ、[[1528年]]にギーズ公の称号を得た。クロードの娘マリー([[メアリ・オブ・ギーズ]])は[[スコットランド王国|スコットランド]]王[[ジェームズ5世 (スコットランド王)|ジェームズ5世]]に嫁ぎ、その間に生まれたスコットランド女王[[メアリー (スコットランド女王)|メアリー]]が王太子、後のフランス王[[フランソワ2世 (フランス王)|フランソワ2世]]と結婚(1558年)したことで、ギーズ家は宮廷内に地位を築いた。フランス史上、ユグノー戦争でカトリック勢力の中心になった[[フランソワ (ギーズ公)|フランソワ]]、[[アンリ1世 (ギーズ公)|アンリ1世]]父子が有名
 
フランス史上、ユグノー戦争でカトリック勢力の中心になった[[フランソワ (ギーズ公)|フランソワ]]、[[アンリ1世 (ギーズ公)|アンリ]]父子が有名。[[1688年]]にギーズ家は断絶、ギーズ公の称号は[[ブルボン家]]の分家である[[コンデ公|ブルボン=コンデ家]]、[[オルレアン家|ブルボン=オルレアン家]]に与えられた。
 
<!-- ==ギーズ伯 ([[アンジュー家]])==