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{{基礎情報 武士
{{武士/開始|駒井高白斎}}
| 氏名 = 駒井高白斎
{{武士/肖像|}}
{{武士/| 時代| = [[戦国時代 (日本)|戦国時代]]}}
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{{武士/| 死没| = [[永禄]]9年以前}}
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{{武士/| 別名| = 政武}}
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| 特記事項 =
}}
 
'''駒井 高白斎'''(こまい こうはくさい)は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[武将]]。[[武田氏|甲斐武田氏]]家臣。譜代家老衆。「高白斎記」は出家名、信虎・晴信(信玄)期の武田家用務日誌を基に成立したと考えられている『[[高白斎記]](甲陽日記)』原本の作者であると考えられている人物。出家前の[[諱]]は政武・昌頼など諸説あり、人物比定についても異説がある。
 
内政面では[[諸役免許]]や[[知行宛行]]、[[所領安堵]]などの各種文書発給を行っているほか、天文16年([[1547年]])5月30日には武田領国における[[分国法]]である[[甲州法度次第]]の起草を行い、信玄に提出したという<ref>『高白斎記』、「甲州法度之次第」は『山資』6下所載)</ref>。このような内外両面における多様な活動は武田家中においても特例で、勝頼期の[[跡部勝資]]に比する政治的立場にあった人物であると指摘されている<ref>平山 2008</ref>。
 
== 脚注 ==
{{Reflist}}
 
== 参考文献 ==
* 平山優「駒井高白斎」『新編武田信玄のすべて』2008、新人物往来社
 
{{DEFAULTSORT:こまい まうはくたけ}}
== 脚注 ==
<references />
 
{{DEFAULTSORT:こまい まさたけ}}
[[Category:戦国武将]]
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