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しまあじ (会話 | 投稿記録)
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'''諒闇'''(りょうあん)とは、[[天皇]]が、その父母の崩御にあたり[[喪]]に服する期間。1年間だったが、後に[[仁明天皇]]により13日間となった。ろうあんとも読む。また、'''諒陰'''・'''亮陰'''と書いて「りょういん」とも読ませる。
 
天皇・[[太皇太后]]・[[皇太后]]の崩御にあたり喪に服する期間。諒闇服と呼ばれる[[喪服]]を着用する。現在、[[天皇]]が服喪期間内に公務で外出する必要があるときは、[[官報]]の皇室事項欄に除喪の旨が公表される。
 
[[儒教]]では『[[礼記]]』における[[父]]の[[死]]の3年、[[母]]の死の1年の[[喪|服喪]]の期間を言う。現在の[[日本]]の[[天皇]]の[[即位の礼]]が先代天皇の[[数え年]]で崩御後3年目に行われるのも、この「諒闇」の観念によっている(ただし[[今上天皇]]の即位の礼は[[昭和天皇]]崩御の翌年に行われた)。「[[論語]]」憲問篇によれば、[[殷]]の頃は君主が亡くなると新しい君主は「諒陰三年言わず」とあり、言葉を発することすら慎んだので万事を宰相が決裁していたとある。
 
日本においては、[[古代]][[律令法]]の[[喪葬令]]や[[儀制令]]に天皇の服喪規定があるものの、3日間と短く、実際にはより長期の期間行われている。記録上確認できるのは、『[[続日本紀]]』に記された[[聖武上皇]]の母[[藤原宮子]]の死去の時(母親の事例)と同じく[[桓武天皇]]の父[[光仁上皇]]の死去崩御の時(父親の事例)に宮中行事が中止されたことが記されている。
 
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