「ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団」の版間の差分

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しかし[[第二次世界大戦]]が勃発すると、ビーチャムは楽団運営を放棄して[[アメリカ合衆国|アメリカ]]へ渡り、楽団は存続の危機に陥ってしまう。残された楽員たちは協議のすえ自主運営団体として再出発することを決め、指揮者[[マルコム・サージェント]]に協力を求め、戦時中の苦難の時代を乗り切る。
 
第二次大戦終結後は、BBC音楽部長も務めたイギリス指揮界の重鎮[[エイドリアン・ボールト]]、新進気鋭の指揮者だった[[ジョン・プリッチャード]]がそれぞれ首席指揮者を務める。プリッチャード時代の[[1964年]]から[[グラインドボーン音楽祭]]へ出演を開始し、オーケストラ・ピットに入って[[オペラ]]を演奏している。同音楽祭は約3ヶ月に及び、新作と再演を数演目ずつという歌劇場シーズンの半分に匹敵するスケジュールを持っているため(、同団は実質的に、ロンドンでは唯一のコンサート・オペラ兼業団体といえる。
 
== ハイティンク時代(1967年 - 1979年) ==