「ウォッチマン (量販店)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
69行目:
その後は中京地区への関東資本の大手[[家電量販店]]([[ヤマダ電機]]等)の進出等で売上が減少。店舗数が18となった[[1998年]]、新ウォッチマンの経営から旧ウォッチマン関係者が離れ、豊田通商の子会社となったが、[[2002年]]3月期には75億円の債務超過に陥った。
 
[[2004年]]5月、新ウォッチマンの全株式が[[アセット・マネジャーズ]]の企業再生ファンドへ譲渡された。この年から大幅に店舗網が縮小され、2006年には本店(名古屋市)と[[三宮]]店を残すのみとなった。追い打ちをかけるように、[[2003年]]に同社と同じ競合同業他社の関東資本・[[ビックカメラ]]が名古屋駅前に大型店・名古屋駅西店を開店。本店の客がビックカメラ名古屋駅西店に奪われた影響で、売上高も156億円(2004年3月期)から50億円(2006年3月期)へと激減した。2006年7月、新ウォッチマンは債権者側から[[破産]]を[[申立て (破産)|申し立て]]られ、8月に[[倒産]]した(このときアセット・マネジャーズは、すでにウォッチマンとは無関係だと発表している)。
 
=== 旧ウォッチマン ===