「アダム・バーチ」の版間の差分
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'''アダム・バーチ'''(''Adam Birch''、[[1979年]][[7月18日]] - )は、[[アメリカ合衆国]]の[[プロレスラー]]。'''ジョーイ・マーキュリー'''(''Joey Mercury'')というリングネームで[[WWE]]で活動中。
==
[[1996年]]
[[2005年]]にスマックダウンに初登場。同年
[[File:MNM champ.jpg|200px|thumb|right|MNM時代(右)]]
[[2006年]]の[[WWE・アルマゲドン|アルマゲドン]]においてフェイタル4ウェイラダー・マッチ形式WWEタッグ王座戦において、マット
ヒールとして一定の成功をおさめ、技術の上達もありWWE上層部に認められたナイトロとは対照的に、なかなか人気が出なかったため、[[2007年]]3月、WWEを解雇された。その後インディ団体に参戦していたが同8月、[[OVW]]にジョーイ・マシューズのリングネームで復帰した。
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この試合の2日後にベンジャミンは解雇されたため彼にとってこの試合はWWEでのラストマッチになった。
その後、リングネーム不詳の謎のマスクマンとして[[CMパンク]]率いる[[ストレートエッジ・ソサエティ]]に協力していたが、[[2010年]]
8月15日の[[サマースラム]]ではストレート・エッジ・ソサエティ対ビッグ・ショーの3対1のハンディキャップ・マッチに臨むが敗北。その後から弟子たちのことを考えないパンクの自己中心的な態度が目立つようになる。9月3日で汚名返上を図った[[ドリュー・ハンキンソン|ルーク・ギャローズ]]対ビッグ・ショー戦でもギャローズが敗北、これでビッグ・ショーを倒せないパンクの怒りが爆発して弟子のギャローズをGTSで沈めてしまう。これによりストレート・エッジ・ソサエティは壊滅状態となり、共に行動することはほとんどなくなり、あっても仲間割れが生じるようになる。その後パンクがRAWに[[アダム・コープランド|エッジ]]とのトレードで移籍したためストレート・エッジ・ソサエティは完全に消滅した。
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: 謎のマスクマン時代に一度だけ[[レイ・ミステリオ]]に対して使用した。
== 獲得タイトル
* [[WWE・タッグチーム王座]] : 3回(w / [[ジョン・ヘニガン|ジョニー・ナイトロ]])
== 外部リンク ==
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[[Category:アメリカ合衆国のプロレスラー]]
[[Category:WWE]]
[[Category:プロレス・トレーナー]]
[[Category:1979年生]]
[[Category:存命人物]]
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