「細川清氏」の版間の差分

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康安2年(正平17年、[[1362年]])、清氏は細川氏の地盤である四国[[阿波国|阿波]]へ逃れ、さらに[[讃岐国|讃岐]]へ移った。清氏追討を命じられた阿波国の守護[[細川頼之]](頼春の子、清氏の従弟)に対しては、[[小豆島]]の[[飽浦信胤|佐々木信胤]]や[[塩飽諸島]]の[[水軍]]などを味方に付けて海上封鎖を行い、[[白峰城]](高屋城とも、現[[香川県]][[綾歌郡]][[宇多津町]]、[[坂出市]])に拠って宇多津の頼之勢と戦った。『太平記』によれば、清氏は頼之の陽動作戦に乗せられて兵を分断され、単騎で戦って討死したとされる。
 
坂出市には清氏はじめ[[被官]]36名が埋葬された「三十六」や、「細川将軍戦跡碑」などがある。
 
なお、清氏の子[[細川正氏]]は、その後も南朝に属して抵抗した。
 
== 清氏に関する史跡 ==
清氏最期の地となった香川県坂出市には清氏はじめ[[被官]]36名が埋葬された「三十六」や、「細川将軍戦跡碑」などがある。
 
== 関連項目 ==
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