「奴隷意志論」の版間の差分

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『'''奴隷意志論'''』 (''De servo arbitrio'') とは、[[1525年]]末に発表された[[マルティン・ルター]]の著作。[[デジデリウス・エラスムス]]の『[[自由意志論]]』に対する反論として著された。
 
初期の[[宗教改革]]は、人間の知性に信頼をおく[[人文主義]]的な要素と結びついていた。そのため、ネーデルラントの人文主義者エラスムスと、宗教改革の推進者マルティン・ルターの間には親交があった。しかし、ルターが聖書至上主義的な姿勢を強めるにつれて、人文主義者の主張と距離を生じていった。エラスムスは、1524年に発表した『自由意志論(De Libero Arbitrio)』において、人間の[[自由意志]]は[[楽園]]からの追放、[[原罪]]の後にも残されていると主張したが、ルターはこの主張に反論し、翌1525年末に『奴隷意志論』を著した。彼によれば、人間の自由意志とは[[罪]]を犯させるだけのものであり恩寵によって高められるにでも[[聖化]]されるのでもない、ルターの説には[[予定説]]も含まれていて、善き業はその超正統主義によれば[[障害]]である。自由意志に基づく努力により神の[[救済]]が得られるのは誤りであるとされ(意志も能力も[[破壊]]し尽くされているという)、そして、ただ神の恩寵と憐れみによって人間は自身の神に対する自由意志における[[協働|協力]]なしに(何の[[努力]]の払わないまま:だから奴隷的意)[[救済]]されるとする。この一連の論争により、宗教改革と人文主義の間の[[亀裂]]は決定的なものとなった。
 
==関連項目==