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'''楊維楨'''(よう いてい、[[1296年]] - [[1370年]])は[[中国]][[元 (王朝)|元]]代中国の詩人。字は'''廉夫'''鐵崖とするは'''鉄崖'''
 
==生涯==
[[浙江省|浙江]][[紹興市|紹興]]の近くの小都市・[[諸曁市|諸曁]]の出身。生家は商人と思われる。[[1327年]]([[泰定 (元)|泰定]]4年([[1327年]])に[[北京進士]]で行われた科挙に合格及第。出身地でしばらくは税務官吏を勤めたが辞職し、各地を放浪し詩社を指導しながら75年の生涯を終えた。
 
その詩風は常識や日常の域を乗りこえることを目指し、華麗で自由奔放な表現を特徴とする。過去の詩では六朝の『[[楽府]]』、唐代の[[李白]]や[[李賀]]を模範とする。[[吉川幸次郎]]は、維楨を「南方市民文学の指導者」と称する。