「森安秀光」の版間の差分

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タイトル戦初登場は[[1981年]]の第7期[[棋王戦]](五番勝負開幕は翌[[1982年]])。当時の[[米長邦雄]]棋王に真っ向勝負を挑んだ五番勝負はどれも大熱戦で、特に第一局の△9六飛を巡る攻防は、敗れはしたものの鮮烈な印象を残した。
 
[[1983年]]の第42期[[棋聖戦 (将棋)|棋聖戦]]では開幕前、『全局振り飛車宣言』で[[中原誠]]棋聖と対峙。出だし2連敗を喫したものの、その後3連勝で初のタイトル奪取。
 
第43期のA級順位戦最終局では、勝てばプレーオフ進出だったが、挑戦・降級ともに関係なかった米長邦雄に『[[米長哲学]]』を喰らい完敗。河口俊彦によると、この対局後森安は「どうして米長さんは僕をいじめるんだ」と言ったという。米長は後に[[週刊現代]]で連載している自身のコラムでこの対局後のことに触れ、森安が5階から飛び降りようとしたり、酒で酔っ払って道路に飛び出し「俺を轢き殺せ!」と叫んで大騒動になった証言している。以降調子を崩し、翌年はA級から陥落。一時期B級2組まで低迷する。
 
その後は徐々に調子を取り戻し、A級復帰も視野に入っていたが、[[1993年]][[11月22日]]、神戸市の自宅で刺殺され、[[11月23日]]に発見された([[森安九段刺殺事件]])。享年44。その死は将棋界だけでなく、社会全体に大きな衝撃を与えた。