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[[File:Kamishimo 02.jpg|thumb|240px|[[#種類|半裃]]。'''肩衣'''と'''[[袴]]'''が同じ生地で作られている。肩衣の両胸と背中に[[家紋|紋]]が入っているのが分かる。]]
[[ファイル:Okuni house 08.JPG|thumb|300px|半裃]]
'''裃'''(かみしも)は、[[和服]]における[[男子]][[正装]]の一種。通常は[['''肩衣]]''''''[[袴]]'''を共布で作り、[[小袖]]の上から着る。肩衣は背と両乳、袴の腰板の四箇4か所に[[家|紋]]を入れて用いる。[[江戸時代]]には無官の[[武士]]の最礼装とされ、身分のある[[町人]]もこれに倣うことが多かったため、現在でも[[伝統芸能]]や[[祭礼]]などにおいて用いられることがある。
 
== 歴史 ==
その起源は明確ではないが、[[室町時代]]中期に[[直垂]]の袖を切って用いたことに発するとする伝承が[[江戸時代]]からある。[[松永久秀]]が創始者であるとする説もあるがにわかには信じがたく、遅くとも[[応仁の乱]]前後から一般化した戦陣の略礼服であったのではないかと思われる。その後、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の進取の機運にのって、[[享禄]]年間から[[天文 (元号)|天文]]年間頃にはすでに平時の略礼服としても用いられるようになった。
 
[[ファイルFile:Samurais wearing Kamishimo.jpg|thumb|200x200px180px|<center>[[#種類|半裃]]の着用例</center>]]
もともとは[[素襖]]から袖と胸紐を外しただけの構造であったらしいが、やがて肩衣に襞を取り、前身頃の裾を細くして、打合せで着るのではなく、袴に裾を差込むかたちに変化した。その後、さらに肩幅をひろく取ることが流行し、[[元禄]]年間には幅一尺に至って、これが固定した。[[江戸時代]]中期には[[鯨ひげ]]を入れて肩を張らせる仕立てがあらわれ、後期には逆に肩の線を丸くすることがはやったといわれ、現在でも「一文字」と「蛤」(鴎)として両方の仕立てかたが残っている。
 
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== 種類 ==
* '''半裃''' (はん- がみしも)
[[ファイル:Samurais wearing Kamishimo.jpg|thumb|200x200px|半裃の着用例]]
* 半裃(はん-がみしも)
** 通常の裃。長裃に対して、袴が通常の丈であることからこの名がある。起源的には長裃より古くから存在するが、長裃に対して略礼装とされる。士分の正装であり、庶民の礼装であった。庶民は冠婚葬祭のみで着用したが、藩によっては着用の可否によって村役人の格として使われることもあった。
 
[[File:Japanese court dress 1881.jpg|thumb|200px|<center>'''長裃'''</center>]]
* '''長裃''' (なが- がみしも)
** 裃の袴の丈を通常のものの1.5倍程度に伸ばし、裾を引きながら穿くようにしたもの。半裃よりさらに鄭重な礼装とされた。なお、[[歌舞伎]]などの衣装に用いられる際は、見栄えの問題からふつうの袴の二倍ほどもあるものが使われる。
 
* '''継裃''' (つぎ- がみしも)
** 肩衣と袴が共布ではない裃。ふつうは半裃である。半裃よりさらに略式の礼装とされるが、現在ではほとんど用いられない。