「艦砲射撃」の版間の差分

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ベトナム・湾岸戦争における作戦と、最近の艦砲の再評価について追記
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しかし、さらに時代が下り、[[20世紀]]にはいると艦砲射撃の価値が低下した。[[日露戦争]]では[[203高地]]を占領した[[日本軍]]からの28cm榴弾砲を中心とした陸上からの砲撃で旅順港にいたロシア第1太平洋艦隊(旅順艦隊)に壊滅的な打撃を与えた事で、[[砲台|沿岸砲台]]とその射程距離内において撃ち合うことは、頑強な[[要塞]]で保護され、海面の軍艦をより高い位置から狙い撃ちでき、しかも絶対に沈まない沿岸砲台に軍艦は移動できるメリットを差し引いても勝てないとして戦術上の[[タブー]]となった。
 
[[太平洋戦争]]では島嶼の争奪戦という性格上、多数の上陸作戦が日米双方によって行われた。それに伴い、艦砲射撃も頻繁に行われた。この頃になると軍艦の大砲の射程よりも遥か遠方から航空機による空襲が待ち構えており、[[制空権]]無しでの艦砲射撃は無謀とされた。実際に[[ミッドウェー海戦]]では[[航空母艦|空母]][[機動部隊]]が先行し、遥か後方に戦艦部隊が配置されていた。アメリカ軍もまず空襲で制空権を確保してから艦砲射撃を行っていた。戦争後期の島嶼での戦いにおいて、アメリカ軍は海兵隊の上陸前に徹底的な艦砲射撃を行った。ほとんどの守備隊が伝統的な水際撃退戦法を用いていた日本軍は、艦砲射撃に対して有効的な対策を編み出すことが出来ず、島嶼攻防戦での一方的敗北に繋がった。ただし、日本軍守備隊が強固な地下陣地を敷いていた[[硫黄島 (東京都)|硫黄島]]の場合は、艦砲射撃も十分な効果を発揮することはできなかった<ref>硫黄島への艦砲射撃は特に激しかったことが知られており、その威力は島の沿岸部の地形を変えるほどであった。</ref>。太平洋戦争では、上陸支援以外にも艦砲射撃が行われた。特に有名なのは、[[1942年]]に日本海軍によって行われた[[ヘンダーソン基地艦砲射撃|ヘンダーソン飛行場への艦砲射撃]]である。また、戦争末期には、アメリカ軍は日本沿岸の制海権・制空権も確保し、[[室蘭市|室蘭]]([[室蘭艦砲射撃]]の項を参照)や[[日立市|日立]]、[[浜松市|浜松]]、[[釜石市|釜石]]([[釜石艦砲射撃]])などに直接艦砲射撃を行った。
 
== 日本における鉄道建設と艦砲射撃 ==