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2010年6月24日 (木) 12:56時点における版
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水野白楓
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→熊谷直実との所領争い
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25行目:
=== 熊谷直実との所領争い ===
[[建久]]3年([[1192年]])[[11月25日 (旧暦)|11月25日]]、[[熊谷
直実|熊谷次郎
直実]]と[[久下直光]]が所領の相論のため、頼朝の前で議論をおこなった。
直実はうまく答弁できず、頼朝はすこぶる不審に思ったのだが、判決がでない内に、直実は書類等を
頼朝になげつけ、憤怒のあまり髻をきり遁世に及び、居宅にも戻らず西に向けて逐電したという。(『[[吾妻鏡]]』)