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'''岡本 大八'''(おかもと だいはち
{{武士/氏族|[[岡本氏]]}}▼
▲'''岡本大八'''(おかもと だいはち)は、[[江戸時代]]の[[武将]]。[[本多正純]]の重臣。[[岡本大八事件]]で有名な人物である。[[キリシタン]]でもあり、洗礼名は'''パウロ'''という。
[[江戸]]の与力である岡本八郎左衛門の子として生まれる。
はじめ[[長崎奉行]]の[[長谷川藤広]]に仕えたが、やがて本多正純の家臣となった。[[慶長]]14年([[1609年]])、[[有馬晴信]]が長崎港外においてマードレ・デ・デウス号を攻撃したとき、晴信の監視役を務めた。ところが大八は、この事件の際の恩賞を[[徳川家康]]に斡旋すると偽って多額の賄賂を晴信から受け取った。しかし、いつまでたっても恩賞の沙汰が無いことにしびれを切らした晴信が正純と直談判したために詐欺行為が発覚し、慶長17年(1612年)に晴信と直接対決が行なわれて、3月21日に駿府市中を引き回しの上、[[安倍川]]の河原で[[火刑|火あぶりの刑]]に処されることとなったのである。
== 関連項目 ==
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